・学習発表会、村人渋滞?

これで、少しなんとかなるのかと思ったら甘くなかった。秋の学習発表会、三年生は劇。たくさんの配役のある「村人」役がある。しかも台詞は一言。これなら劇にも参加できるかもしれない。発表会に参加したい旨を先生に話した。

しかし、その役決めの時に学校を休んでしまったから、もう村人の役はないと言われた。欠席した方が悪いということだ。でも、先生にはあらかじめ村人役をお願いしたいと伝えていた。夫もこればかりは、先生とは何時間も話したのに欠席裁判はあまりに残酷だ、台詞がなくてもいい、みんなと一緒に何かをする体験をさせてほしいと懇願した。

先生は「わかりました」と言ったのに、翌日、「やはり無理でした」と電話。「どうしてもその村人の役をやりたい子がいる」って、村人ばかりの劇なのか? 私も夫も撃沈した。次男はもう学校に行く希望をなくしていた。

・学びの支援の会、開かれる

最終手段。教育委員会を通して対応の再検討の機会が設けられた。次男のための「学びの会」が校長・教頭・主任・担任・学びの教室の先生参加のもと定期的に開かれることになった。次男が少しでも登校できるように配慮してくれた。

学校の玄関で、大好きな主任の先生と話して帰る、あとは職員室登校、保健室登校。校長先生は良い方で、何度か校長室登校もしていた。校長先生からの直接授業、校長室で一緒に給食を食べるなんて、ある意味貴重な経験をさせていただいた。

しかし、教室に入れなくなった次男にそれ以上は無理だった。教室に入ろうとすると全身が震え、脂汗、涙、一歩も先に進めない。毎日、校長室もつらい。帰宅するとやはりパニック。一時間くらい泣いて暴れると落ち着く。家では、母のもとでは安心して過ごしているし、大好きなお兄ちゃんが帰ってくると兄弟で楽しく遊んでいて、どこが障害なのかわからない。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『運命に寄り添う、そして生きる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。