第一部酒編

黒田節

あるとき豊臣秀吉恩顧の武将・黒田長政が同僚の福島正則のもとに、家臣の母里友信を使いに出した。友信もまた酒好きであることを知っていた長政は、正則から酒を勧められても決して飲んではならぬと厳命したのであったが。

はたして友信が正則の前に進むと、案の定正則はしこたま酔っ払っていて、しきりに友信に酒を勧めるではないか。主の命を頑なに守って固辞する友信の前に、正則は巨大な盃になみなみと酒を注がせ、「黒田の家中の者は、これしきの酒も飲めぬというか。これを飲み干せば、何でもその方の望むものを褒美として取らすというに」と、口を滑らせてしまった。

「殿(長政のこと)、お許しくださいませ」と、心に念ずるや一息にその大杯を飲み干した友信は、褒美に正則が秀吉から下賜された自慢の槍をせしめたという逸話。

あっぱれな飲みっぷりを披露した母里友信は、黒田節に歌われた文句とともに歴史に名を残すことになりましたが、私の考えは少しばかり違っています。

天下人・秀吉から下された槍を別の者に褒美として与えたというようなことが、秀吉に聞こえたとしたら、まず切腹間違いなしとしたものでしょう。「これは酒のうえでのことでございますから、ご容赦くださりませ」などとは言っておられませんね。

しかし、その後福島正則は、二度にわたる朝鮮の役、関ヶ原の合戦を生き抜き、江戸時代には安芸五十万石の太守に納まっています。

槍のことが秀吉に届いていないことなどまずないと考えられますから、この故事はある意味秀吉の器量の大きさ、懐の深さを際立たせているといえましょう。

「なに、そのようなことがあったと。たわけめ。ああ待て……。よい、よい。正則めには、以後酒を慎めと申し伝えよ」

秀吉の高笑いが聞こえてくるようではありませんか。