五章 ひたすら頑張った末の福音──娘恵美が不妊治療を続けた理由

五ノ一 恵美からの電話

我が家には女の子が二人いて、そのうち小さな頃から、なかなか頑固で、でもしっかりした努力家で頑張りやさんだった子が恵美です。大学を卒業と同時に親元から離れたと思えば、しばらくしてすぐに嫁いで、さらに遠方へと行ってしまいました。

もう一人の娘、由美の方も相次いで家を出てしまいました。それぞれ女性として幸せな結婚生活がスタートしたと思っていました。

恵美の夫となる方は、恵美には申し分ないほど気持ちの優しい人柄の青年で、よく出会ってくれたものだと、ありがたく感じています。恵美は自立心が高く、考え方もきっちりとしていました。そんな若い二人が結婚し、一、二年が経ったある夜、恵美から電話がありました。

「あの、ちょっと話したいことがあるのだけれども、今、大丈夫かな?」

と言うと、恵美は、ゆっくりと話しはじめました。

これまで病院で色々と検査をしてきて、恵美の夫は“クラインフェルター”という診断を受けたと言います。初めて耳にする長いカタカナ言葉に恵美と一緒に電話口で一文字ずつ復唱したのを覚えています。

彼自身の生まれ持ったものであり、無精子症、男性不妊であるということでした。その電話を受けたときは、それほど驚きはありませんでした。私は内心、ん?で、どうなんだろう?と、そんなに重要視することはせず、子どものいない人生も別に構わないではないかと、それも受け入れようと思ったのです。

何組か、子どものいない知人のご夫婦もいらっしゃるので、このときの私は結構あっさりと受け止めてしまいました。

「まあ別にいいんじゃない」

という感じの、あまりに愛想のない返事をしていたと思います。

通常の男性の性染色体はXYなのですが、彼のような人はXXYなどX染色体が一つか、それ以上多いとされています。男児の約千人に一人くらいの割合と、かなり高い頻度で発生しているようです。

クラインフェルターそのものの根本治療はできないようで、大人になり結婚して初めて気づく場合も多く、自然妊娠は極めて難しいとのことでした。特に子を持とうとしないならば、気づかないままの人もいるとの記事もありました。彼は私から見れば、病気を抱えている様子もなく、これまでも学校や社会でも普通に過ごしてきている好青年そのものです。

私自身は結婚し、すぐに子どもを授かり育ててきました。なので、子どもが欲しくても授からないという恵美たちのような不妊症の人の感情は想像することができませんでした。

でも女性なら、ある年代になれば、子どもを授かりたいと思うのは当然のことなのかもしれないと考えました。それから私は、クラインフェルターのことを調べるようになりました。図書館へ行き、関連書物も調べました。

本の中には、絶望もあり、希望もありました。私は、子どものいない形の娘夫婦というのもOKでした。しかし、子どもを切望する夫婦なのです。これからいつまで続くのかわからない希望へ懸けた検査と治療を受け、模索の中で苦しみを常に背負いながら、生きていくことになるのです。

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※本記事は、2022年1月刊行の書籍『模索の扉』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。