一部 ボートショーは踊る

彼らはそれぞれに自分たちが主人公であるかのごとくに振る舞う。しかし、本当の主人公は何といっても無料の招待券で訪れる彼らではなくて窓口で切符を買い求めてアルコールの匂いをぷんぷんさせながら小間から小間をのし歩く漁師たちであり、夫婦子供連れで華やかに着飾って訪れるボートオーナーたちである。

彼らは夏のヨットシーズンに、あるいは漁期に間に合うように会場を訪れ、何か目新しいものは見当たらないかと血眼(ちまなこ)になる。そして顧客という名の王様として金を払う自分の立場を存分に楽しみ、小間に置いてあるあめ玉をくすね、コーヒーをただ飲みし、メーカーや出品者の名前入りの封筒を余分に受け取り、ごっそりとカタログを詰め込む。彼らに刃向かう者は誰もいない。

しかし、ボートショーの雰囲気と顔触れは漁業向けショーであるかレジャーボート向けのショーであるかによって微妙に違ってくる。ノルウェーのトロンハイムや、スペインのビーゴ、アメリカのシアトルなど、名だたる漁港で開かれるショーは漁師たちが主な顔触れで、どちらかというと荒くれた雰囲気に包まれている。それに引き換え、ロンドンとか、パリとかの主だった首都のボートショーは紛れもなくレジャーボートのオーナーたちとその予備軍の華やかなお祭りの場である。

そして、どの年のどの会場でも日本の製品が半分ぐらい会場に(あふ)れている。したがって必然的に世界中のボートショーは日本のメーカー同士の闘いの場でもある。それぞれのメーカーはショーの時期に併せて新製品を開発し、そのショーはメーカー同士の熾烈なスパイ合戦、腹の探り合いの場と化す。小間にやって来るお客から価格表の提示を求められる時はセールスマンが細心の注意を払わねばならない瞬間である。ひょっとするとそれは商売仇のスパイであるかも知れないからだ。

ヨーロッパを一巡し、最後の目的地はロンドンのボートショーだった。ロンドンのボートショーの会場はロンドン塔に程近い、テームズ河畔のトレードセンターだった。トラファルガー広場の近くのホテルに宿泊し、例年より長い一週間のショーの期間、俊夫は毎日欠かさず会場に足を運び、会場が閉まる夜八時まで会場に詰めっぱなしだった。

当面最大の市場調査の眼目であるソナーに限らず他のマリンエレクトロニクスのあらゆる競合製品について世界中のどのメーカーがどんな商品を出品しているか、それらの価格はどのように設定されているか、市場の反響はどうかなどを綿密に調査した。その調査結果を彼は毎晩ホテルの部屋でレポートにまとめ、持参したパソコンで東京の本社にメール送信する。それが何時もの彼の出張中の仕事のやり方だった。

まだイギリスには正式の代理店がなかったので、彼の調査活動には代理店探しという別の目的が重なっている。しかし、出品者に関する予備知識をもとにして騒がしく立ち回っている小間の責任者を捕まえて、その種の商談を持ちかけるのはかなりの技術を要する事柄で、二、三の会社と引き続き協議をしようという約束を取り付けるのが精一杯だった。

ショーの期間中、一日に何度も、俊夫は顔馴染みのイギリスのボート協会の会長のジム・ゴールドマンが経営するオーシャントレックという会社の小間を通る度にそこで疲れた足を休め、時間を潰した。業界の名士であるジムの小間には俊夫だけでなく大勢の日本の業者たちが同じように何時も屯たむろしている。

そして、ショーの最終日がやって来た。ショーの終わる時間が近付くと、オーシャントレックの小間には日本人がどんどん集まって来て、そこはまるで日本人村ができたような雰囲気だ。それは業界でのジムの立場を暗示している趣があった。集まって来た日本人の顔触れを見定めて、ジムはワインを振る舞い、何時もながらの陽気なジョンブルを演じ、胸に手を当てて深々とお辞儀をしてみせる。