十五

すべてを焼き尽くす夏の光よ。ようやく夏はやってきた。そして、足早に去っていく。何度目の夏を迎えたか? 数えなくていい。去年の夏と今年の夏はあきらかに違っていて、今年の夏の日は一度きりなのだし、数えるなんて無意味はやめなさい。

夜になると昼の光がすでに遠い過去の光となってしまったかのような記憶になりはてて、一瞬ですべてを焼き尽くす短い夏のように、修作の人生苦は突然向こうからやってきた。落魄……星降る深い夜に。魂震える深い闇に……。汗みどろになりながらもなにゆえこの季節には腐ったような甘美な匂いがそこはかとなく、時には熾烈にしてくるのか。

夏の光に蹌踉と歩いている。生の一瞬が一歩ごとに喪失していくことの寂寥。何回目の夏だって汗みどろになって過ごしてきた。それぞれの夏にいたのだと哀しく、せつなく木々の葉が揺れて夏の光をまだらにする。眼はかすみ、意識は朦朧として、夜になっても昼間の熱があちこちから放出している。虫たちは夜を待っていたように合唱をはじめる。

人間だけがすでに秋はやってきて盛夏の底で息づいていることを知らずにいる。すべては無意味だったと思春期に知ってしまったくせに、なお、知ったところからおめおめと生きはじめた夏なのだ。罪と罰の彼岸に常にいるという前提に立って……汗みどろの熱く火照った躰は冷たい水を求めて吠え、朦朧とした意識は過去の所在を探している。

逃げ込むこともできず、ぽつねんとたたずみ、記憶の所番地を影に尋ねるのだ。虫の鳴き声が沈黙をかきけしていく。過去に逃げ込めず、未来へとはばたけもせず、現在を否定したら後には何が残るのか。ただ寂寞と寂寥の荒野が広がるばかり……何をしてきたのだと……。夏の盛りの夜に問うている。

激しい流れの渦巻く川面を修作は眺めていた。一番近い駅までは生家から歩いても三十分はかかるが、飛び出してきた。修作は直前まで縁者にひどく責めあげられていた。アトリエ兼用の仮寓はまだそのままだった。

修作は父親の葬儀からのそれまでに疲れきっていた。ほんの一時的な退避のつもりだった。仮寓の片付けや、やりかけの仕事(制作)をしているうちに気持ちの整理もつくだろうと思った。しかし川にかかる橋を渡りはじめて半ばまできて、激しく叩きつける雨に濡れながら欄干に手を掛けて動けなくなる。このまま飛び込んでしまおうの意識が修作を急に支配した。

頭がぐらぐらしてくる。勢いをます川面のうねりのなかに身が揉まれていく感触が冷たく冷えていく背中を閃光のように走り抜ける。どのくらい見つめていたか、ふと片足を浮かし加減にした時、一台の車が修作の背後にぴたりと停まった。車はエンジンをかけたままハザードを点滅させていつまでもそこを動こうとはしない。早く走り去ってほしい、じりじりとした気持ちが持ち上がってきても、車は動かない。にらみあうような時間が過ぎていく。

やがて根負けしたかのように修作は、再び駅に向けて歩きだした。橋を渡りきると止まっていた車は、ゆっくりと動きはじめて、ヘッドライトをつけたまま、修作の横を追い越していった。修作は、叩きつける雨にあえて顔を突き出し、泣きながら、

「たすかった」

と嗚咽まじりの声を吐き出していた。

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