十三

父はいつもこう言っていた。

君が幸せなら世界も幸せである。君が不幸なら世界も不幸せである。かぎりのある、生と性、儚く、愛しく、哀しき重力。君は琥珀の闇に向かう永遠のこども……。無色透明な誇張しない品位を持ちなさい。生きろ、生きろ、生きろ、生きろ、生きろ、生きろ、生きるんだ、詞(ことば)で氷を破壊しろ。

<雨にもマケテ>

あなたはどこにいるの?

だれかがそう言ったようで、そのすぐと、かまうなかれ、透明な、きりかもやのようなものに溶け込み、あってないような、なくてあるような、有と無、そういうものに、わたしはなりたい。

十四

やがて、あわただしい一日がようやく終わり、近親者雑魚寝の通夜となる。寝苦しい暑さと、周りのかくイビキに全く眠れない。さまざまな感情が頭の中を渦巻いている。真新しい仏壇にろうそくの灯りだけが、暗闇を明るくしている。

その炎の揺れるのをいつまでも見つめていると、開けはなたれた縁側から、ろうそくの灯りめがけて、一匹の蛾が飛び込んできて、バタバタと羽を仏壇に当てて騒いでいる。蛾の影が大きくなったり小さくなったりして、仏壇の金色の背景に黒々とした陰影をつくる。あたりにリンプンともホコリともつかないこまかな粒子が飛び散る。その時、とうちゃんが蛾に生まれ変わって会いに来たと不意に思った。

「帰ってくるのがちょっと遅かったよ、約束通りに帰ってきてくれていたら、オレは死ぬことはなかった」

と、怒っているような気がして、バタバタと羽を打ち付ける音に耳を押さえた。それが生前の父が酔った時の自暴自棄そっくりに見えた。そうして眠れぬまま、あわただしく、夏の朝はやってきた。

喪主は修作ではなかった。当然といえば当然である。身内にしたら。しかし、修作は違った。自分がやるものだと思っていた。この時からすでに彼は家督のらちがいにいたのだった。

嵐のように時間がしきたりにのっとりすすんでいく。父の死を冷静に考えるいとまもないままに。だが、本当の地獄は、嵐のような葬儀までの時間にではなく、ようやくことが落ち着いた四十九日の後にやってきたのだった。