【前回の記事を読む】高校野球・黄金時代…銚子商業高校の名将「斎藤一之」の凄さ

2.名将「斎藤一之」の誕生と銚子商野球部

斎藤監督就任前の銚子商野球部は、昭和28年センバツ、夏は昭和33年の第40回大会、昭和36年の第43回大会で甲子園出場を果たしており、それぞれ昭和28年で2回戦、昭和33年は3回戦、昭和36年では2回戦まで進出していた。

そして、斎藤監督が監督に就任した後の昭和38 年の夏の甲子園第45回大会では、全国ベスト8まで進出しており(銚子商0-3今治西)ここから「全国上位常連」が続く事となり、その2年後の昭和40年の夏の甲子園第47回大会で全国準優勝を果たす(銚子商0-2三池工業)。

その後、

昭和43年の春のセンバツ第40回大会 ベスト8   (銚子商0-4倉敷工業)

昭和44年センバツ大会第41回大会 2回戦     (銚子商2-14三田学園)

昭和45年夏の甲子園第52回大会 2回戦      (銚子商0-2PL学園)

昭和46年夏の甲子園第53回大会 ベスト8     (銚子商2-3郡山)

昭和47年センバツ大会第44回大会 ベスト4    (銚子商3-5日大三)

昭和48年センバツ大会第45回大会 1回戦     (銚子商0-16報徳学園)

昭和48年夏の甲子園第55回大会 ベスト8     (銚子商3-5静岡)

昭和49年センバツ大会第46回大会 ベスト8    (銚子商1-2報徳学園)

昭和49年夏の甲子園第56回大会 全国V      (銚子商7-0防府商)

昭和51年夏の甲子園第58回大会 ベスト8     (銚子商2-4桜美林)

昭和52年センバツ大会第49回大会 2回戦     (銚子商1-4智弁学園)

昭和60年夏の甲子園第67回大会 1回戦      (銚子商3-8宇部商)

と、ベスト8以上が9回を数える。

斎藤監督は「監督」として春夏合わせて11回の出場とあるが、実は斎藤監督が銚子商に赴任してから監督が「現役」のままこの世を去る平成元年まで、見てわかるように甲子園出場は14回を数える。

これは、「斎藤部長」時代があったとされており、「監督」としての実績は11回とされている。