私が“28年後の恋”をして、ドン様のことを考えなければ夜も日も明けない生活をしはじめたことも、異常といえば異常だが、ドンの何がこうも人を惹きつけるのだろうか。

エッセイストのフランソワーズ・モレシャンさんとドンの、京都での5回にわたる対談のタイトルは、「美の造化ジョルジュ・ドン」とある。モレシャンさんのドン追悼文を読み返した。

ドンの一途さ、ひたむきさ、ベジャールへの誠心誠意の20数年を思って涙が出た。ドンの、あり得ないほどの敬愛、感謝、誠実。モレシャンさんはドンのその態度を「宗教的道徳的」と表現している。

ドンとベジャールに関する、日本で出版されている雑誌類はほとんど入手して、読み、眺め、メモを取っているが、これ以上新しい情報は入手できそうにない。だから今は、繰り返し同じものを見ている。北青山のバレエ用品の店に、ドンのビデオが入荷したという情報が入ったり、東京バレエ団の『M』を上野の東京文化会館まで見に行ったり、様々な新しい事柄が私の日常に変化をもたらしてはいるのだが。

VHS『バレエの時ベジャールの肖像』を購入し、団地内の写真館でDVDにしてもらい早速見た。ドンが折に触れて写っており、ドンのビデオのようだった。

その中で1975年の『アクアアルタ』はドンがコミカルに踊っているが、この作品を別のダンサーが踊っているのを見て愕然とした。まさにドンの踊りは、あふれんばかりの喜びをダイナミックに表現している。

ドンの動きは、いつも音楽より一歩先にある。卓越したリズム感だ。そして、ちょっとした動きにもドンにしかできないハイセンスな効果のある身振りがある。別のダンサーはただ頑張って踊っているみたいに見えてしまう。