食べ物を粗末にしちゃいかんぜよ(2008年10月)

今年も我が家は、収穫最盛期を迎え、連日の肉体労働でいくらかだが無駄についている贅肉が落ちてきたように感じるのが、気のせいでなければよいのだが(笑)。

数年前に露地長ネギを作づけし始めてから、我が家で最初に収穫する作物がジャガイモではなく長ネギに変わった。今年も9月に入ってから、長ネギ収穫がスタートし、市場出荷している。

昨年は中国産長ネギが輸入ストップになった影響で、相場が極端に上がった。そのため今年は、日本全国あちこちで長ネギ作づけがめちゃくちゃ増えた。おかげさんで今年の市場には長ネギの山があふれかえっており、価格は思ったよりも上がらないどころか平均単価を下回ってしまう始末。全く人間という生き物は単純なもので、儲かると思ったらたくさん作づけしようとする。しかし考えることはみんな一緒なので、みんながみんなたくさん作づけしたらあり余ってしまうのは当然の出来事である。

かくいうこの僕も、昨年末に父と翌年の作づけ計画を話しあっているとき、

「来年は長ネギ、倍に増やすべ」

と言っていた単細胞人間。しかし、長年の経験はさすがというべきか、父はキッパリ

「ダメだ。恐らくみんなしてネギつけるから安くなる。うちは現状維持だ」

と突っぱねた。そのときは、

「なんて肝っ玉のちっちゃい親父なんだ」

と不満に思ったが、今の現実を見ると、さすがは親父だと思うし、自分の浅薄な脳みそが恥ずかしくもなってくる。

さて、前置きが長くなったが、今回書きたいことは、こんな僕と親父のどうでもいいやりとりなんかではない。昨今のあまりにも粗末に扱われている食べもののことについて書いてみたい。

長ネギを市場に出荷していて長年つくづく思うのだが、なんと見た目にうるさいことか。やれ白根に虫食いがついているだの、やれ葉っぱに病気がついているだのと文句を言ってきて、ひどいときには返却されてしまう。確かに食べるのに支障があるほどの虫食いや病痕ならまずいだろうとは思うが、実際は目を凝らして注意して見なければ気づかないようなちっちゃなちっちゃな虫食いや病痕でも文句を言ってくるのだ。

今年のように長ネギが大量に溢れている時などは例年以上にそういったことにうるさくて、ちょっと極端な言い方ではあるが、顕微鏡で1本1本注意深く点検しなかったらいけないのだろうか、と思ってしまうほどなのだ。

※本記事は、2022年4月刊行の書籍『山奥の笑顔百姓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。