第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

イスタンブールでも? (東京五輪の憂い)

さて、東京が日本の代表として開催することは都市力からして仕方ないのかも知れないが、私は日本国の立場としてはベストの選択であったとは思わない。国を挙げて税金を投入してやるのであれば、本当は仙台や福島中心の東北地方連合がベストであろう。首相もずっと「復興が一番、東北が一番」と言い続け、招致のスピーチでも福島原発事故は“アンダーコンプリートコントロール”と宣言したのだから。

猪瀬知事を引き継いだ小池知事のように、少なくとも何種目かは東北開催でないと「今までは口先だけだったか」と思われても仕方ない。言語明瞭、意味不明の首相は過去にも多かったが、言語も意味も極めて明瞭なだけに結果が伴わないのがしっくりしない。

東北が駄目なら広島・長崎の共同開催である。米国による原子爆弾投下で一瞬にして廃墟、生き地獄になった両都市が国民の総力と地域住民の力でフェニックスの如く見事に復活したと世界にメッセージを送るのである。

また、核兵器廃絶を訴えるにはこれ程の良い機会はない。ちょうど2017年のノーベル平和賞を核廃絶国際キャンペーンICAN(アイキャン)が受賞したことにも後押しになったと思われる。この2都市が無理なら金沢、富山、福井、新潟の日本海側での開催である。

今、我が国の人口や産業も全てが太平洋側のUSA向きの方に偏りすぎている。国土軸を複線化しないと南海トラフ地震などが起これば国が衰退してしまう。

ロシアの極東地方や中国の東北3省、南北朝鮮など今後益々国力が上がってくる可能性が強い所に対応するためにもインフラを整備し、国力を分散しておく必要がある。阪神・淡路大震災で山陰側しか救援などのルートが確保できず、これでは源平時代と変わらないと苦労した経験も生かしたい。

昔の遣隋使や遣唐使と同じように環日本海時代は目前である。また、これはかなり飛躍した考えかも知れないが南朝鮮は今世紀中には核大国となった北朝鮮に併合されるのではと感じ始めた。もし米朝戦えば、という問いに南の国民の7割が北を応援との答え。ベトナムと同じように経済は南のまま、政治や制度は北が、というシナリオが現実的に迫っている感じである。

トランプ政権のアメリカファーストを見ていると台湾も香港と同じ運命か? 少し脱線しすぎたが、これこそ杞憂に終わってほしい。

五輪は百歩譲っても大阪か名古屋であり東京ではない。名古屋はソウルに、大阪は北京に敗れた。不適格や都市力で負けたとは思っていない。IOC委員の初物食いに負けたのである。“おもてなし”の力が足りなかったかも。

第二次世界大戦後の開催地を振り返ってみると大きな2つの流れが判ってくる。戦後すぐのヘルシンキやメルボルン、ローマ、東京などは戦後の復興。これに続くメキシコシティやモントリオール、ソウル、アトランタ、北京、前回のリオなどは発展途上国のエンジンに、つまり高速道路や地下鉄、新幹線などの交通やホテル、体育館、競技場などのインフラ整備などで国力を増進するのに役立てている。アテネやロンドン、ミュンヘン、バルセロナなどは差し詰め古都の復興、再興か。

そう考えると今回の東京は何れにも当てはまらない。発展途上でも衰退気味でもなく一人勝ちの一強なのである。益々一強、東京集中に拍車をかけ、国全体としては終了後には衰退が始まるのであろう。

今回のIOC贈収賄疑惑の前にも、エンブレム盗作疑惑や国立競技場の設計やり直しなど何回も返上してはというチャンスはあった。次回の立候補都市もボストンなどは取り下げた。賢明な判断である。放送や新聞雑誌などはヨイショ産業で大河ドラマや特集などで儲けているが、一時の熱病に過ぎない。

一つの光明はスポーツを志す若者のレベルアップと裾野の広がりである。放映権のために真夏の昼間に競技をやり、選手ファーストを忘れてしまっているIOCには猛省を促したいが、冒頭の疑惑はFIFA以上に金まみれに思えてならない。IOCの在り方も再度見直されるべきであろう。クーベルタン氏の魂を思い出して。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。