第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

イスタンブールでも? (東京五輪の憂い)

今、JOC(日本オリンピック委員会)の竹田会長がフランスの警察当局から取り調べを受け、先日会長職を辞任した。確か1年半位前にインターポール(ICPO:国際刑事警察機構)から取り調べという3行記事が出ていた。日本のメディアは東京五輪に水を差すニュースは便乗的恩恵の立場から取り上げなかった。

しかし私は冷静にグレーと見ていた。ゴーン氏のように私益ではないが、国益のための“おもてなし”は国際法上ギリギリの線が不明である。特にIOCの委員はヨーロッパの没落貴族や中東の石油成金、アフリカの独裁者の取り巻きなど金の匂いに鋭い方が多い。

事前視察のために来日したメンバーの顔つきも余り良いものではなかった。恐らく東京での五輪終了後にしか白黒の結論は出ないものと予想している。

私は東京五輪が決まった夜、東北岩手の花巻温泉の旅館にいた。自治体病院関係の会が東北地方の方々への震災後の復興、元気付けにと岩手県で開催されたのであった。当時のIOC会長ロゲ氏から「トキオ」という声を聞いた時、私は驚きと失望を感じた。まずこれで東北の復興は最低でも4~5年遅れると直感したからである。旅館の従業員や宿泊客は浮かれていたが……。

事実この危惧は杞憂ではなかった。東北の被災地病院の改修や新築の入札不応が相次いだが、これは寒い東北より温暖な東京湾岸の五輪関連工事に魅力を感じた企業が多かったのではなかろうか。

当時の竹下亘復興大臣が仙台医療センター(旧国立仙台病院)入札不応の時に建設業界に協力を要請したことは我々医療界の者は皆知っていることである。工事現場近くの敷地に作業員宿舎を作って人を集めたりコンクリート作成キットの一式を急拵えしたりと、当時の被災病院の院長先生方の涙ぐましいお話も直に伺った。やはり心配が当たったのである。

私は、ライバル都市のイスタンブールがファーストベストで、日本はセカンドベストと考えていた。その理由は、リオデジャネイロで南米大陸が開催地の4つ目の輪に入り、次はアラブ・アフリカで五輪の5つが全て揃うからである。

アジアで初の開催となった前回昭和39年の東京五輪の時から、私の生きている間に五輪が完成するのが一つの夢であり、生きているうちに完成してほしいとずっと願っていた。国力や政治的指導力からはエジプト・アラブ共和国の首都カイロが最有力ではと考えていたが、アラブの春での混乱による治安低下などで立候補せず、イスタンブールに夢を託していたのである。

それともう一つ、この都市イスタンブールに夢を賭けていた。そもそも古代オリンピックは何のために起きたのか?

ご承知のようにアテネとスパルタの永年の戦いの休戦、平和のためであった。マラトンの戦いの直後、42.195㎞走って戦勝を告げたのがマラソンの起源である。

翻って今、世界を見るとイスタンブールの周辺は戦争ばかり。アフガニスタンのタリバンによる内戦やシリア内戦、イラクを中心とするIS国家、南イエメンと。

ここで平和の祭典五輪が開催されれば3週間の休戦は必ず起きる。その間にIS国家の戦闘員達にも我々も世界の一員になった、地球市民になったんだ、こんな酷い無駄なことをやっていてはと少しは非日常の感覚を正常に戻すチャンスが与えられるとも考えた。

甘いと思われるかも知れないが、東京へ難民チームを招くよりは世界平和への貢献度は高いと思っている。最終的にはエルドアン首相と安倍首相の一騎打ちになり、どちらが勝っても互いに応援しようとエールを贈り合っていたのであるから……。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。