月ノ石に小中学校はないという以上、あの少女は駅を降りてどこへ行くつもりだったのだろうか。九月になっているのだから、とうに二学期は始まっているはずです。最近は地方によっては夏休みのスタートや終了時に若干のずれがある学校もあるようですが、「はずれ」とはいえここは関東、ごく通常の夏休み期間を設けているはずでした。

もともと居住人口が少ない上に、子供や若者を見かけることがほとんどないこの町で、廃駅同然の月ノ石駅から降り立った少女がいったい何者なのか、私はどうしても知りたくてたまらなくなりました。

決して変な意味ではありません。これまでの私は仕事にも私生活にも何の関係もない事柄に興味を持ったことなどありませんでした。自分以外の他人は、「味方であるか、敵であるか」の二種類しかなく、「味方」であると判断した相手に対しても、「どうやって自分に利益をもたらす存在に仕立て上げるか」しか考えなかったのです。

では私に友人と呼べる人間がいなかったかというと、そういうことでもなかった。私の方が友人だとは認識していなくても、向こうが私を友人だと思っている人間は不思議に少なくありませんでした。常に複数の取り巻きに囲まれ、そのうちの何人かは私のことを親友だと言って特別な絆の証しを求めてきたりする者さえいました。

子供の頃から生来の愛嬌があり、初めて会う相手にも物怖じせず、表面的には感じが良かった私は、いつしか周囲が望む自分を演じるようになっていたのかもしれない。私にとってそれはたやすいことでした。しかし本当の自分を、私は誰よりもよく知っていました。猜疑心が強く、めったに本心を明かさず、透明な、しかし強固で反面(もろ)いガラスのバリアの中に膝を抱えてしゃがみこんでいるような人間、それが私でした。

その私がほぼ初めて自分以外の他人に興味を持った。それがあの駅で見かけた少女だったのです。田舎の営業所勤務になり、車通勤で飲みに行く機会もぐっと減って娯楽もなく暇になったからだと、そんな自己分析をして少女に固執する自分への言い訳にもしていました。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『月光組曲』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。