・パニックを起こす日々

しかし、一年生の時から、学校から帰って家の玄関に入るなり「わー!」と大きな声を出してパニック状態となり突然暴れまくる。本人もどうしてそうなるのかわからず、とにかく泣いて暴れる。登校した日は必ずそうなった。

夫はそんな次男を怒ってばかりいた。怒ると益々ひどくなる。「あ~、これは何かいよいよ何かあるな、この子」。

この子にはきっと何か特別な性質がある、医療と発達の専門家の助言を得る必要を感じた。わらにもすがる思いで受診した発達クリニックで、診察と発達検査の結果、「広汎性発達障害」と診断を受けた。やっぱり、そうか。私は診断名がついてホッとした。診断名がつくなら療育方法もあるから。

しかし、夫は「どこが障害なんだ!」と言った。障害に偏見があるのだろう、きっと。だけど療育を通して良くなっていくよと私が言おうものなら、「あなたは専門家ヅラして、こっちはたまったものじゃない。母親が甘やかすからこうなるんだ」、そう言って、パニックで暴れる子どもを抑えつけ、怒りまくった。

ある日、診療所の医師に、夫婦そろって呼び出され、「お父さん、怒っても無駄です、怒るほどお子さんはパニックになりますよ」と諭された。そして、「お母さんはフルタイムの仕事は無理。特に思春期は大変だから、夫婦二人力合わせてこの子を育てていかなければなりません」、と言われて帰ってきた。夫は無言だった。その日から、夫は私にも子どもにも冷たい態度をとるようになった。

一方の次男は、発達相談を受けながら学校に通えるようになってきていた。しかし、三年生でまた担任が代わった。若い男性の先生、大きな声でいつも学級内で怒鳴り散らしていた。そんな先生だったが、登校できない次男を心配して毎日のように家庭訪問してくれていた。普段は優しい人なのに怒りをコントロールできないらしい。

それが逆に、次男にとって「お父さんと同じ」と感じられて怖かった。結局、学校に行けなくなってしまった。教育委員会に相談し、転居を前提に転校するとになった。転校、つらいだろうなあ。

※本記事は、2022年8月刊行の書籍『運命に寄り添う、そして生きる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。