玲奈は、毎年子どもの夏休みに三週間ほど帰省する。お正月休みや春休みも一週間は子どもを連れて帰ってくる。「ゆっくり行っておいで」と同居する義父母も理解を示してくれるようだ。

「仕事で一緒に行けないけど、長野にゆっくり行ってくればいいよ」と玲奈の夫、春樹(はるき)も快く送り出してくれる。

玲奈と結里亜の子どもは年齢も近いので姉妹のように楽しそうに遊ぶ。時にはおもちゃの取り合いもするがすぐに仲直りをする。その姿が微笑ましく、玲奈たちが帰る時には、結里亜は寂しい気持ちになる。

しかし、玲奈が長く家を空けることに貫一や澄子は何とも思わないのだろうか。自分の娘がそれだけ長く帰るのだから、結里亜にも「たまには実家でゆっくりしておいでと言ってもよさそうなのに」と思った。

同じ世代なのに、片方の家は昭和初期のような生活、もう片方はお互いを理解し思いやって生活している。結里亜の嫁いだ地域がどの家もそういった考えではないので『地域性』というものではない。

実際、結里亜の学生時代の友人の中には、義母と交代で食事の用意をしているという家や、子どもの学校の行事がある日や予定がある日は義母が食事の用意をする家、二世帯住宅で一カ月に一、二度、一緒に食事をする家、別の場所に娘や息子夫婦がもう一軒建てているという家、などさまざまだ。

樹里が幼稚園に通いはじめると、昼間は彩奈と貫一と澄子の四人だった。

貫一と澄子は冬の間はほとんど外に出ることもないので結里亜は、少し息苦しかった。それで息抜きに公民館でやっている料理教室に通った。彩奈を連れていき、おんぶ紐でおぶって調理をした。

一緒のグループの人もとても優しい人だった。地元の主婦が教えている料理教室で栄養や塩分を考えて作られたレシピだった。主食、汁物、副食、デザートの四品を作った。

一カ月に二回、半年通った。帰りに買い物をして、そこで作った物をすべて夕食に並べた。料理のメニューや味付けの話をしながら食べる。料理教室に通うことは、歓迎されることはないが、家で同じメニューを作ることで文句を言われることもなかった。

その後も何度か料理教室に通った。公民館主催で講師は料亭の料理長やお菓子屋の主人だった。

情報のアンテナを立て、学べるチャンスを窺った。日頃から手早く料理をすることに慣れていることと、同じグループの人もテキパキと動く人が多かったことで、結里亜のグループはいつも一番早く作り終わっていた。

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