「入院している家内が、村の女だったもので、婿さんに入ったってわけです」

「そういうことですか。近くの村のご出身ですか?」

「いや、違います。出身は東京です」

いよいよ篠原は驚いた。あの村には、今でこそ東京出身のお嫁さんやお婿さんもいるが、六十二年前に東京出身の人が婿に入るなんてちょっと考えられない、と篠原は思った。六十二年前というのは昭和二十年の終戦の年で、当時の白川郷は、まだ車の走れる直通の道もない山奥の村だったはずだ。そんな秘境にどうして東京から婿入りしたのだろうか? お爺さんは、篠原の心の中に次々に湧いてくる疑問がわかるのか、すぐにまた答えてくれた。

「戦争ですよ。戦争でわたしは、あの村に逃げていったのです」

「疎開ですか?」

「違います」

お爺さんは、それから篠原が想像も出来ないことを語り始めた。

「正しくは、あの村に逃げていったのは、戦後なんです。戦争中、わたしは語学が得意で、そんなことで陸軍中野学校に入りました。そこを卒業して、任務に就きました。モンゴルに行きましたよ。モンゴル人になりすまして、軍の仕事をしました」

篠原は陸軍中野学校という言葉を聞くと同時に、緊張した。篠原は三十一才、全然戦争を知らない世代ではあるが、陸軍中野学校がどういうところかは知っていた。陸軍士官学校や旧帝国大学の学生から選りすぐりの人材を集めた、陸軍のスパイ養成学校のことだ。戦後は戦犯として現地で絞首刑になったり、日本に戻って来てもその仕事の内容から戦犯として重い判決が下ったりした人も多かったはずだ。ジャングルで戦後の三十年間を生き延びた小野田寛郎少尉も中野学校の出身だった。

このお爺さんは、小野田少尉のようにジャングルではなく秘境白川郷で生き延びたということなのか。しかも三十年間ではなくその倍以上の六十余年間も。これはスクープになることかもしれなかった。

篠原は新聞記者になって九年目、思いがけない事件の当事者になってしまい、地方支局に左遷されたのだが、運が回ってきたような気がした。このお爺さんの話は地方版ではなく本紙に載る記事になりそうだった。もっと詳しく聞きたいと思った。ただ、自分が新聞記者だとわかると黙ってしまうかもしれないので、行きずりの旅行者として聞き出そうと思った。幸い、お爺さんは篠原の素性など気にも留めない感じで、そのまま茶飲み話のように話し続けてくれた。

「終戦になって、何とか日本に戻ってきました。しかし、スパイとして働いていたのですから、戦犯になるのはわかっていました。だから、白川郷に、逃げました。わたしは、初め、白川郷の寺にいさせてもらいました。やがて家内と知り合いましてね。家内は身体が弱くて、誰も、嫁にもらってくれなくて、困っていたらしい。それでわたしを婿にしてくれました」

※本記事は、2022年10月刊行の書籍『白川郷』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。