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鉄平のセピア色の旅の出発駅だ。

部屋は木造校舎の一番端で半分は物置部屋になっていた。入口の引き戸は異音がする。薄暗い部屋の壁際のスイッチをカチッと押した。すぐには点滅しない。しばらく待っていた。突然点灯するのが楽しかった。

鉄平が六年生の時に、学級委員長から、新聞委員をやらないかと誘われた。三か月に一度発行するだけで、簡単だよと説明を受けた。それならばと引き受けた。実際、もう三回は終わり、最後の発行のみとなった。

その不可解な出来事は、小学校六年生だからこそあり得た話だった。

最後の学級新聞を編集していた。突然、隣に座っていた委員の沖中明子が「そうだわ」といって鉄平の顔を覗き込むようにして、話しかけてきた。

「滝沢君は華岡さんと河北さんのどちらが好きなの? ねえ教えてくれる?」

「え? 僕が、どちらが好きかですか?」

「そうよ、あなたも好きな女の子がいるでしょう。恥ずかしがらずに教えてよ、よく考えてから返事をしてね」

古びた木製の長机が二脚と、パイプ椅子が数脚雑に並んでいた。

棚には、ガリ版印刷用のインクの缶や、その横に用紙が無造作に積まれていた。

この空間は、教室とは違った匂いがした。

インクの匂いだけでは無かった。

でもこの場所は、自分達の舞台にもなった。今は誰も観客はいないが、新聞が出来上がれば、顔は出ないが自分達が主役になれた。

いつもは男子と女子が二人ずつ四人で編集するのだが、昨日から、女子委員の華岡朋子が風邪で学校を休んでいた。

でも最終号なので三人は、特に気合が入っていた。

僕達は記事の割り振りをして、編集に無言で取り組んでいた。僕はテーマを『六年間で一番の思い出』とした。

鉄平は作業をしながら予期しない沖中の質問に戸惑っていた。

でもいつまでも、黙っている訳にはいかない。

沖中は鉄平が、まだ迷っているのだと思い時たま鉄平を見ながら返事を待っていた。

鉄平は、沖中の顔を見ない様に返事をした。

「沖中さん。さっきの話だけど、僕は二人とも同じ位好きです」

鉄平は小さな声で答えた。

すると、横にいた男子委員の松本昭夫が、作業をやめて落ち着いた声でいった。

「そうだ、やっぱりどちらか一人に決めよう。滝沢君」

この話には何か策略が有るのではと感じた。鉄平は、緊張して上ずった声だと自分でも分かったが勇気を出した。

「えーと、なぜ二人とも好きではだめなの」

何か周りの空気が静止したと感じた。

きっと二人は目を合わせて、無言の会話をしている。

「滝沢君ね、私達が聞いているのはね、男子として二人の女の子のどちらが好きですかと聞いているの。二人同時に好きになるのは、いけない事でしょう」

沖中は姉の様な口調だった。

それから僕の顔を横からじっと見ていた。

小学生の気持ちには、やっぱり無理があった。でも正直な気持ちを思い切っていった。

「河北南海子さんが好きです」と答えた。

えっ!と沖中が、鉄平の顔を改めて見た。きっと自分の期待していた返事ではなかったのだ。

鉄平は、河北南海子に特別な感情が有った訳では無い、走るのがすごく早かったので学校では目立った存在だった。その姿が印象に残っていた。走る時は、長めの髪を後ろで束ねる。その髪がリズムよく左右に肩の上で揺れた。

鉄平は、まだ当たり前だが特別異性としての感情は無かった。何か憧れみたいなもの

だった。しばらく沈黙が有り、鉄平の返事に沖中が少し怒った顔で、語気を強めて高圧的にいった。

「滝沢君、本当は可愛い華岡さんが好きでしょう。大丈夫。私に任せて」

すかさず松本も同じようにいった。

「そうだ、決まっているよ、華岡さんが好きだろう。恥ずかしがるなよ」

二人の確信を持った自信の表情に、何も抵抗は出来ないと思った。でも、なぜ鉄平がこの二人の女の子から、どちらかを選ぶのだろうと不思議に思った。完全に周囲の空気が固まった。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『爽快隔世遺伝』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。