「病院側は夫が亡くなった後、不正で被害をこうむったのは我々だから退職金は出さないと言いましたわ。夫の不正のせいで病院は莫大な経済的不利益をこうむり、評判も落とすし、健康保険組合からも訴えられている。自分たちこそ被害者だと言われました。まるであの人たちが私たち遺族を訴えないのはお情けだと言わんばかりです。でも主人が不正を働いてお金を着服していたのなら、そのお金は一体どこにあると言うんですか?

主人が不正をして誤魔化したお金は全部で三億二千万だと病院側は言います。一部は病院の赤字補填に使ったが、三分の一以上が宙に消えた。主人が着服して隠したと言うんです。そんなお金がどこにあるのか教えてもらいたいです。主人のも私のも銀行口座は全部警察が調べました。家宅捜索も受けましたが主人が隠したというお金は見つかりませんでした。お金なんて顔も見ていないし、盗っていません。天に誓って断言出来ます」

彼女は思いつめた口調で言い切った。

「この家は主人があの病院に就職した時にローンを組んで購入しました。月々のローンの支払いは九万円で、私の稼ぐお金と子供手当てを併せても、三分の一はそれで消えてしまいます。もしあの人がお金をこっそり盗んでこの家に隠していたとしたら残された私たちがこんな生活をしているはずはありません。主人が掛けてくれていたわずかな生命保険も、自殺の場合の特約でお金が出ませんでした」

松野は相手の女性の固く思いつめた表情を解きほぐすかのようにやんわりと言った。

「ご主人が亡くなられてあなたはご苦労されたんでしょうね」

彼女はほっと息をつき、少し口ごもりながら何事もなかった昔を懐かしむように言った。

「主人が生きていた時、私には夢がありました。子供の手が離れたらしたいことがあったんです。花が好きでフローリストになりたかったんです。いわゆる生け花ではなく、自分で考えた花のアレンジメントです。ブログに出したら好評で、うまくすればどこかのイベント会場に置いてもらったり、ちょっとしたホームパーティーに使ってもらえないかと思っていました。でも奥さんのアルバイトみたいなことでは子供を二人育てるのは無理です。夢は諦めて今は市内のかまぼこ工場で働いています」

「あなたはご主人が亡くなって以来ずっとご主人の無実を訴えてこられたんですか?」

「ええ。その為には出来る限りのことをしました。新聞社に訴えたり、ネットで発信したり、西茂原の駅前に立ってビラをまいてマイクで呼びかけたり……警察に止めなさいと言われもしました」

「警察が口出しを? ここは表現の自由を保証されている国だが?」

「町で一つしかない総合病院の悪口は言わない方がいいって言うんです。町の為にならないって」

「それでも戦いを続けてこられた……この四年間ずっと? 余程ご主人を信じておられるんですね」

「私はただ正義を求めているだけです」

松野は山本の遺書と黒革の手帳のコピーを取らせてくれないかと育代に頼んだ。彼女は承諾した。

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※本記事は、2022年7月刊行の書籍『白い噓』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。