「ああ、なんとなく」

生返事をしてみた。

「一昨年は、アメリカの西海岸へ短期留学していて……ちょうど、そのころかな、アメリカ人の家にホームステイして、テレビはあったけど日本語の放送はないし、日本のこと、わかんなくて……」

「へぇ、アメリカのどこですか」

ズングリが食いついてきた。

「ロサンゼルス。語学学校みたいなとこへね、半年、通ったの、ホームステイしながら」

「それは、楽しかったでしょうね。英語、できるんですね」

「んとぉ、できるってほどでは……」

まさか、きみたち、帰国子女とかじゃないよね……細かいこと訊かれたら、困る。わたしが留学したんじゃないし。ただの、受け売りなんだから。寿美、ありがとね、役に立ってる。だけど、もう何年も前のことだし。そんなにちゃんとは覚えてない……。

「興味があるの?」

「いえ、そういうわけじゃなくて。ぼくも彼も、専攻は日本文学の予定なんで、外国に特には関心ないんですけど。だから逆に、海外留学したり、英語が話せる人って、どんな人なんだろうなあ、と」

「なるほどね。べつに、たいしたことじゃないわよ。半分は、遊びっていうか、楽しく勉強して、ホームステイ先でもホストファミリーと、楽しく家族のように会話して、生の言葉を学ぶ、難しいことは、やっぱりわかんないけど、わからなくても仕方ないし、でも、楽しくね……そんな程度よ」

吉野寿美は高校時代、決して英語が得意ではなかった。いい大学に入りたいとか、そんな向学心もなくて、だから、遊び半分で留学した。でも、楽しく遊びながらでも実際に現地で生活していたら少しは慣れた、と。帰ってきたときは、生意気に英語で挨拶したりして、たしかに少しは喋れるようになっていた。でも、一年後には、すっかり……。

左手に大橋病院。建物がキレイ、そりゃそうだわ、もしも三十年前だとしたら、ここ、できてからまだ間もないだろう。正式には、東邦大学付属だったかしら……そうそう、そう書いてあるわ。

「ここ、東邦大学って、ぼくらの高校の、まあ、親大学っていうか、いまは違うんですけどね、設立当初は東邦大付属中学だったらしいです。ので、卒業生で医者になった先輩の何人かは、ここに勤務してるらしいですよ。あっ、お勧めするという意味じゃなくて。一緒にバカやってた同級生のあいつらが、いずれ医者になるのかと思うと、怖くて恐ろしくて、ヤツらのこと、ちょっと信用できませんしね」

ズングリは皮肉屋でもあるのか……。

「和菓子」の看板が目に入った。束の間の旅も終わりに近づいている。結局、ほとんど情報らしき情報、得られなかった。店の前で立ち止まった。

「このあとは、どちらへ?」

ズングリに訊かれた。

「えっとぉ、そうね、渋谷へ」

渋谷、一九七一年? どうなんだろ、だいぶ違うのかなあ……違うんでしょうね。

【前回の記事を読む】「で、いま、何時」懸命に不得意な暗算。まさかここは、三十年前...!?

※本記事は、2022年5月刊行の書籍『再会。またふたたびの……』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。