11月20日(金)

再び、オナラ

昨夜夕食前に体重を量ってみると71.5㎏になっていた。

73㎏を割ったことは記憶にない。本来は長い間、78㎏の周辺にいた。80㎏を超えるのではないかと心配したが、80㎏を超えた経験はない。2010年の8月にバーク神父様と一緒にトルコへ行った。パウロゆかりの地を訪ねる旅であった。これが物凄く暑い旅行で、帰ったら3㎏減って75㎏になっていた。

続いて9月、会社の旅行で台湾南部へ行った。鵝鑾鼻(がらんび)まで足を伸ばした。これもおそろしく暑い日々で、40度近い中での旅行であった。旅行から帰ると体重は73㎏すれすれになっていた。しかし73㎏を切ることはなく、以後74㎏の周辺で安定していた。大きく増えることもなかった。意図せぬ減量ができたのである。

ところが良子にがんが出て、私は73㎏を切り、更にあっさり72㎏も切った訳である。洗顔しても、頬骨の出っ張りを感じる。私の方にがんがいるのではないかと思う。

12月28日には「がん研有明病院」で、検診を受けることにした。昼間事務所であい子に言った。

「お母さんが退院する迄、酒を断とうかなと思う」
「何で?」
「犠牲を捧げるんだよ。茶断ちというだろう。何かの願いが叶えられるために、自分の好ましいものを断つんだ。いけにえさ」
「そんなことしたら、お父さんが病気になってしまう」
「一生というんじゃない。お母さんが退院するまでだ」

そのつもりでいた。

7時に良子を訪ねた。先に部屋に入ったあい子が、ああ? という声を上げた。私も入ると、良子の鼻にチューブはなく、良子は笑顔である。昨日とはまるで違う。「よかったなあ!」と私は言った。

3日目にしてイレウス管を外し、「保存的治療」を終えたことになる。「オナラが出た」ということで、バンザイした。「ウンコも出た」、更にバンザイした。正に“お通じ”である。「酒が呑める」と言った。良子は怪訝な顔をした。

明日からは半粥の食事が始まるという。ということは点滴も終わるのであろう。腸の完全閉塞が回避できたということで、ピンチは脱したと私は思った。あと何日の入院になるか分からないが、今回は退院を指示されても更に2、3日おいてもらうよう頼んでみる。

北の湖、逝去。実質、史上最強の力士であったと思う。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。