実際のイギリスは産業革命で安価大量に生産されるようになった工業製品を後の経済学者リカードの比較生産費説〈国際貿易で比較優位を持つ財の生産に特化した自由貿易論〉によって、アジア・アフリカに売り込み、重商主義時代にも勝る植民地主義、帝国主義に邁進していきました)。

スミスは、個人が利益を追求することは一見、社会に対しては何の利益ももたらさないように見えますが、社会における個人全体が利益を追求することによって、社会の利益が神の「見えざる手」によって達成されると考えました。

スミスは、価格メカニズムの働き、最適な資源配分をもたらすもの、つまり需要と供給のバランスは自然に調節されると考えました。スミスはそのために、国家は国防・警察・教育等の必要最小限以外の経済活動への参入を否定し、あとは市場機構(市場経済)による経済の発展を重視すべしとの立場をとり、国家の経済への介入を批判しました。

スミスの国家観は「夜警国家」(国家の機能を安全保障や治安維持など最小限にとどめた自由主義国家を目指すべきとする考え方)のようなものであったと言うことができます。

以後、経済学はこのアダム・スミスの『国富論』を原点に、古典派経済学、ドイツ歴史学派、新古典派総合、ケインズ経済学、新古典派経済学などさまざまな学説、学派が分派していきました。後述します社会主義、共産主義の経済学となるマルクス経済学も『国富論』を原点にしています。