さらにスミスは投資の自然的順序論を述べています。

蓄積された資本は、農業、製造業、商業に投資されます。自由競争のもとでは各産業部門の利潤率は均等化します。しかしリスクや確実性などの点からスミスは各人が自己の労働や資本を利己のおもむくままに自由に使用する「自然的自由の体系」のもとでは、投資に農業→製造業→商業の順序が自然と生まれるといっています。

商業部門の内部にも投資順序があり、国内商業→外国貿易(外国との消費物の直接取引)→迂回貿易→中継貿易の順序であるとしています。

また、スミスは、重商主義は、ある国の貿易差額の黒字は貿易相手国の赤字を意味するため、「個人の間と同じように諸国民の間でも当然、和合と親善の紐帯であるべきはずの商業」を不和と敵意の源にしてしまったと考えました。

貿易差額主義の行き着く先は植民地という独占市場の獲得競争でした。重商主義時代がたえまない植民地争奪戦争を特徴としたのはこのためでした。しかし、植民地建設は不生産労働者である軍人と行政官を大量に必要とするため、そうでなければ資本として利用されただろう資源を浪費し資本蓄積を阻害しました。

従来ヨーロッパ大陸や地中海沿岸諸国との貿易に使用されていた資本を回収速度の遅い遠隔地貿易に転用し、さらに資本を植民地物産の迂回貿易や中継貿易へと向かわせてしまいました。そこでスミスは重商主義政策の廃棄と投資の自然的順序が実現するような経済制度を主張しました。

それは保護奨励の体制ではなく自由競争を原理とする社会です。

自由競争のもとでは各人の利己心から資本はまず国内産業の維持に投下されますが、このことが生産物価値の増大や資本蓄積を最大に促進し、国民経済を富裕の自然的コースに導くことになると主張しています。しかもこのコースで国民経済が発展するかぎり、外国市場をめぐって諸国民が抗争する必然性はなくなるから、商業は諸国民の「和合と親善の紐帯」となるはずです。

こうしてスミスは各国が自然的順序にしたがって国内産業の維持というナショナリズムを堅持することが平和的国際秩序を実現させると考えたのです(アダム・スミスのこの内需拡大論はあまり強調されていませんが、現代にも通ずるところがあり、重要なことです。