山を下りてからもう半月近い。思い出をゆっくり温める暇もなく、僕たちはもう春山の計画に余念がない。一つの山行は充分な反省をもって初めて完了される。鹿島が僕たちの胸に影を落としたのはすでに遠い昔のような気がする。

それから何年かの間、僕たちは鹿島への情熱を燃やし続けながら黙々と歩み続けた。鹿島の計画を立案しながら、何度、八方尾根に変更を命ぜられたことか。夏に一期生が踏み込んでから、冬も春もと通いなれた八方尾根の合宿の一つ一つが鹿島への道を切り開いて行った。唐松も五龍も全ては鹿島への道程であった。

僕たちは山登りそのものだけを考えない。そこに至る道程と、山での行動と、そして徹底した反省とをいつも考える。一つの素晴らしい山行は、準備と行動と反省とのたゆみない調和の上にしか成り立たない。それは一個の総合芸術にも似て、人間のあらゆる能力を試そうとする。

僕たちは山で教えられている。風雪とラッセルのアタックから帰って、サポートの友の差し出す一すすりのココアが、どれ程精巧に友情を表現して見せるかってことを。一枚の乾いた肌着がどんなにありがたいものかってことを。そしてまた、同情のない冷たい目で、割り出された結果によってのみ人間の行為が判断される状態の中で、僕たちが赤裸々な人間として誠実な行動を要求されていることに、はじめて気づくってことを。

そして僕たちは知っている。何はともあれ、僕たちの砂漠に人間性の種子を蒔くことが最も大切なことだってことを。山に登る者の心は、永遠に孤独の影を宿して暗い運命に耐え行く者の心だ。そして、それ故にこそ、肉体と精神の限りない調和を厳しく要求する山の生活にあこがれるのだ。

思えば冬の鹿島は長い間の部の目標であった。今度の山行も、勿論一口に成功したなどという言葉で表せるものではないが、とにもかくにも積雪期の鹿島が、遠い憧れではなく、身近な対象となったことは、部の歴史に一つの大きなファクターを注入するであろう。

山から下りた日、大谷原のB・Hで、僕たちは先輩の努力をおもい、部の来し方を振り返って静かに美酒を酌んだ。山に逝かれた星島、寺田両先輩に、無事下山の報せをもって黙祷を捧げることは、僕たちの心和らぐ義務である。

(出典 防衛大学校校友会誌『小原台』第十六号 昭和三十五年三月十五日)