そんな楽しい飲み会から二カ月後の七月半ば、会社の倒産は現実のものとなった。会社側はコロナを言い訳としているが、以前からの業績不振をコロナが後押ししたにすぎない。経営陣に対して言いたいことは無論あったけれど、衝撃とか悔しさは不思議となかった。

倒産寸前の生煮え状態の会社にいるより、そこから解放された自由の感覚に内心スッキリし、それを好機と捉えている自分がいたのである。共済制度によって退職金もわずかであるがもらえるし、失業保険もあるから、しばらくは食いつなぐことができる。私は二カ月前の飲み会で同期たちに告白したチャレンジを、やってみようと思った。今この時を逃しては、もう二度とこんなチャンスはない、として。

倒産から数日後、本当にこれが最後になるだろうということで、私たちは飲み会を開いた。同期たちの顔はさすがに冴えず、苦し紛れに笑い、会社の悪口を言い、中年そのもののよどんだ目をしているから、私は言ってやった。「さあこれで自由になったってことさ。こないだ告白したチャレンジに出掛けようぜ」

しかし反応は鈍かった。子育てに金が掛かり、家のローンもまだたっぷり残っているとなると、夢だのチャレンジだのと実際言ってられない。すぐに再就職活動しなければ、家族に許されない。せめてできるチャレンジは、資格を取ってキャリアアップするくらいなもの。就職氷河期世代である我々は、職にありつけないつらさ、職があることのありがたさを身に染みて知っている。

だからそういう現実路線に、結局は流されていくしかないのだ、我々は。会社はつぶれ、職業も地位も失くしても、男たちは義務を忘れられない。古臭いのかもしれないが、女房子供たちの暮らしを守りたいと、更に強く悲壮な義務感に駆り立てられながら。