【前回の記事を読む】倒産前、最後の飲み会…サラリーマンが語り合った「夢」とは

プロローグ 失業という始まり

こんな高橋の夢に触発され、普段は表沙汰にできなかった中年男の夢が、おずおずと顔を出してきた。モーターパラグライダーの技術を習得して、日本の名所を上空から自由に眺めたいという下山、路上ライブをやりたいという生真面目で通る古谷、四国八十八箇所をお遍路で巡りたいという尾道。

「お前そんなこと考えてたのか?」などと、それぞれのチャレンジを批評しては、それなりに地位のある中年男たちが子供のようにはしゃいでいた。途方もない夢想とか、とてつもなく金の掛かるチャレンジでないのが彼ららしいし、やる気になればできそうなところがリアリティーを感じさせる。結局みんな、食うためだけに働くことに飽き飽きしていたのだ。二十年も食うため、生きるためにあくせく生活してきたことに内心うんざりしていた同期たちであり、同志たち。

私はといえば、自分のチャレンジを告白するのをためらった。その夢はちょっと恥ずかしいのだ。しかし皆に早く言えと攻め立てられると、ハイボールをぐいとあおり、おずおずと自分のチャレンジを小声で呟いてみた。「小説を書いてみたい」と。

同期たちは目をパチクリさせ、「()(みつ)、お前小説好きだったっけ?」ラーメン高橋が言った。確かに、同期たちの前で小説の話などしたことはないし、特別多く読んでいるわけでもない。でも、書いてみたくなってしまったのだ。私にとってそのことは、人生観が変わるチャレンジであるという気がしてならない。

「で、どんな内容の小説?」お遍路尾道が尋ねてくる。

「れ、恋愛小説だよ」

おおー、と同期たちは声を上げる。

「中年の不倫物か? 失楽園みたいな?」

パラグライダー下山が、まるで自分の願望を告白するように、食い付いてきた。

「違うよ、十代の純愛物」

私の解答に、同期たちはむしろ無言になり、何だか照れている。さすがにこの年でティーンの純愛物語は無理じゃね?ということなのだろう。確かに、きつい。でも、私は書いてみたいのだった。

それはこんな物語だ。絶対音感の持ち主の少女アカネと、絶対距離感の持ち主の少年リクの、十六歳の恋愛ストーリー。主人公の少年リクは、絶対距離感という特殊能力を持っている。絶対距離感というのは私が考案したアイデアで、自分と対象物の距離が見ただけで分かってしまうという能力だ。例えば黒板までの距離5.25m、のように。けれども好きな相手に関しては、心の距離が分かってしまう。仲が悪ければ、近くにいても100m、逆に思い合う力が強ければ、遠く離れていても1m、みたいに。お互い特殊能力を持った二人が、思い惑い、距離を離したり縮めたりしながら心を通わせていく、恋と心の成長を描いた物語。

私の説明を聞いた同期たちは、何ともいえないようにニヤニヤ笑っていた。

「オレも絶対距離感持ってるよ」ふと高橋が告白すると、私は驚き、

「まじ?」

「うん。でも分かるのは嫁さんとの距離だけ」

高橋の言葉に、「あ、それならオレも分かる」と一同はうなずいた。

「せーの」と私が音頭を取ると、「一万キロ」「地球一周」「無限大!」などの答えが出てきて、皆で笑い合った。