そのときだった。箱の一隅から人影が現れたのだ。しなやかな身ごなしで飛び降り、下で受け取った荷を背にして小走りに牛を追う。そしてひらりと箱の中に消えた。遅い午後の光の中に舞い降りたような、たっつけ袴に陣笠姿の小柄な雑兵の姿は、わたくしの目に鮮やかに焼き付いたのだった。

ほっそりとした華奢な体つきから見るに、まだ少年のようである。どこの息子であろう。誰の孫であろう。足軽の誰彼を思い浮かべたが、思い当たる家はなかった。

みなが親しみを込めてずんつぁまと呼ぶ村上源左衛門どのは、この戦でせがれを失った。どんな思いで軍列を見守っているのであろう。村上どのより三つ四つ若いずんつぁんこと、鈴木清之進どのも陽に手をかざして眺めていた。あの隊列の中にずんつぁんのせがれどのもいるはずだ。

ちなみに言えば、ずんつぁまは爺さま、ずんつぁんは爺さん。「さま」と「さん」で敬称の格に上下の差があるのだ。村上どのがすっと奥へ入った。病床のお殿さまに我が目で見たことを語るのであろう。若いころからお殿さまの傍らで、いくつもの戦を戦いぬいてきたおひとである。

お殿さまとは、白石城の主、伊達家家臣の片倉小十郎景綱さまのこと。小十郎景綱さまは、わたくしの夫小十郎重綱さまの父上である。城の者たちは景綱さまを「殿さま」とか「上さま」、重綱さまを「若さま」とお呼びしている。

「見かけたことがねえなあ。あのめんこい顔したあんちゃんこ、何処の息子だい?」

大坂を発って早々に幌をかけた荷車の中で、傷を負った下士(かし)たちは怪訝な顔でわたしを目で追っていた。

「西の方のわらす(童子)だ。殿さまがひろった落人(おちうど)だよ。傷に障っから、黙ってろ」

世話をする下士はわたしから荷を受け取ると、怪我人に向き直ってなだめた。傷の重い者は片倉家の江戸屋敷に残された。せめて傷があと少し癒えるまで療養しなければならぬ、という医者の言葉に従ったのだとか。これ以上長い道中を揺られつづけるのは命に関わるということらしい。

それで、大坂を発つとき三台だった車は、江戸からは二台になった。乗っているのは歩けない者ばかりである。水を入れた竹筒を背負い、揺れる車を乗り降りしているうちに、わたしは彼らと言葉を交わすようになった。

「あんちゃんは、西のひとだってねえ。なんだってまあ、女子(おなご)にしてもいいような、めんこい顔してっちゃねえ。いくつだい?」

「十二歳です」

「そうかい。それで、父ちゃんは?」

「このたびの戦で討たれました」

「……ああ……」

※本記事は、2022年9月刊行の書籍『幸村のむすめ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。