このような財閥系というか企業集団に属している企業は利益率で見ても成長率で見ても独立系企業より低かったのですが、不況時などにはグループからの支援が受けられたので安定性が著しく高かったのです(ですから、日本企業は欧米企業より安定性はありますが、利益率は低いというのが相場となってしまいました。これも今でも続いています)。

明治・大正期に確立された財閥集団は戦後一時は解体されたとはいえ、その後復活、拡大し、(戦前・戦中・戦後のブランク時代に拡大した欧米との技術格差を取り戻すため)再びあらゆる面で欧米企業からの技術導入を行い、新しい企業を次々に作ってきました。それを三菱、三井、住友、……など財閥系、企業集団ごとに行ったので、ワンセット主義と言われました。

この過当競争気味のワンセット主義が続きましたので、日本の高度経済成長は急速で高いものとなりました。このような、いわば保護者付きの企業は新企業と言っても、経営者の精神的負担はおのずから軽いものと言わざるを得ませんでした(安易に横並びでグループごとに似たような企業を作っていると言われました)。

このように親企業が子会社を作るという形でリスクを軽減して作るのが日本の一般的な企業作りでしたが、中には親なし、保護者なしの欧米の発明・創業者型の企業が非常に稀でしたが、あるにはありました。

豊田佐吉の会社は明治期の発明家企業の典型でした。豊田佐吉は豊田式木製人力織機(一八九〇年)を手始めに特許を取り、豊田式木製動力織機、豊田式自動織機と発明し、長男の喜一郎になった一九二五年に自動車第一号車を販売し、今日のトヨタ自動車に発展していきました。

このような発明型企業から出発した例は、日本では極めて少なかったのですが、戦前では前述のトヨタ自動車、松下幸之助の松下電器産業、戦後では本田宗一郎の本田技研、井深大のソニー、稲盛和夫の京セラなどが挙げられるでしょう。

※本記事は、2022年4月刊行の書籍『劇症型地球温暖化の危機 太陽光エネルギー革命で日本を再生する』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。