【前回の記事を読む】やっとの思いで次男誕生。だけど「この子は何か違う」「あかねこ」…!?

第一章 そして母になる

幼児期第一の壁:離乳できない

一歳半で卒乳を試みた。事前に本人に了承を得たはずだったが、その時になると「断固として嫌です」という態度。おっぱいくれないなら食事を食べないというハンガーストライキに入られ、親が根をあげ、二歳まで延期。二歳も同じことを繰り返した。

これじゃ、歯医者に怒られるよ。歯医者は

「二歳までの虫歯はお母さんの責任(離乳しないとだめ)、二歳からの虫歯はジジババの責任(甘いおやつをあげるから)」

と言っている。歯が生えてきたら、夜間授乳の母乳の糖分が虫歯のもとという根拠に間違いはない。しかし、二歳頃の卒乳を促してきた側の助産師の私。上の子はさっぱり一歳半で卒乳。同じようにしているのに離乳できない。

しかも、ごはんはちゃんと食べている。そこにおっぱいが入ったところで栄養になるわけでもない。さすがに四十五歳で数時間毎の授乳はきつく、夫との甘い時間などなかった。

保育園ではおっぱいをほしがらず良い子で過ごし、預けている時間も短かったから、母と一緒にいる時間は上の子より長かった。おむつは二歳で取れ、栄光のパンツマンになった。しかし三歳を過ぎてもまだおっぱいにぶら下がっていた。そのうち吸われていても気にならなくなった。家事の間も、フライパンを振っていてもおっぱいの下。

そんな時、出張保育で家に来てくれた年配の保育士さんが、

「私も小学校五年生までおっぱい吸っていたって母に今でも言われますよ」

と笑って教えてくれた。

「だけど今はもちろん、もう吸ってないですから」

と、そりゃそうでしょうね。ちゃんと六年生で離乳、結婚し子ども三人を育ててきたベテラン保育士からそう言われて、ま、きっといつか離乳するのねと、気長に構えることにした。なので、三歳以後何歳までおっぱい小僧だったのか私も覚えていない。小学校入学時には卒乳していた。

・幼児期第二の壁:転園

ある時、保育園の組織運営体制が変わり、担当保育士も代わる落ち着かない状態で安心して子どもを預けられなくなった。転居で保育園が遠くなって転園を検討すると幸い家の近くに良い保育園があった。ラッキー。

四歳になったばかりの次男、それなりに自我も育っていたから転園は不安だらけ。その保育園は、先生は若いが保育に意欲的で、給食室が子どもたちから見えるのも魅力だった。初日、次男は珍しそうに近づいてくる他の子どもたちに

「俺に近づくなっ!」

と、玄関で叫んでいた。その顔は恐怖の表情だった。どうした、何があったんだ、私がびっくりした。でも、そんなことは日常の保育士。ゆったりした対応に、プロだなあ、と感心した。

きっとだいじょうぶ。新しい保育園生活が始まった。