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半年間の荷物を準備するのは思ったよりも大変だった。私が何度も「アルゼンチンはどう?」と聞くものだから、最初のうちは見ないふりをしていたフリオもいつまでも知らぬ存ぜぬでは通せなくなって、せっかく地球の裏側まで行くのだから、半年間ずっと同じところにいるんじゃなくて、アルゼンチンの国全部見てきたらどうかと提案した。

私はブエノスアイレスだけで十分だと思っていたし、半年なんかあっという間に過ぎると思っていたけれど、フリオが、

「アルゼンチン人のわたしが知らないアルゼンチン。日本人のショウコが知っているのもいいと思う。今のアルゼンチンのこと、いっぱい、教えて」

「そんなの、インターネットでいくらでも写真あるよ」

「ショウコが行ったところの写真が見たい。インターネットの写真はダメ。旅行のお金、わたしが払う」

などと言い出したものだから、洋服も下着も何度も入れ替えることになった。そして、フリオと一緒にカメラを買いにいった。

明日、アルゼンチンに旅立つという日に、フリオに会った。ちゃんと挨拶してから旅立ちたい。桜の花が満開だった。私もフリオも桜の花が好きだ。私もフリオも春が好きだ。私たちが初めて会ったのも春だった。

少し肌寒い公園のベンチに腰掛けて、私たちはぼんやりと桜の花を眺めた。たくさんの人が目の前を通り過ぎる。桜の花の下では、シートを敷いてお弁当を食べている人もいる。たくさんの日本語が行き交っていて、どの言葉もちゃんと耳に届いているけれど、全て通り過ぎていく。フリオの発した言葉だけが耳の中にすんなりと入ってくる。

「ハカランダ」

不意にフリオが言った。

「はかなんだ?」

桜の花を見ながら何をはかなむのだろう。私は西行の和歌を思い出す。

願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ

母はよくこの歌を引き合いに出して、桜の時期に死ねたらいいと言っていた。母が暮らすアパートからは桜の花が並木のように植えられた公園が見えた。母が亡くなったのは桜紅葉が色づき始めた秋だった。