【前回の記事を読む】障がい児をかかえる小児外科医の夫へ…妻からの思いやりに「心が洗われた」

五十代と六十代になった中学生と医大生三十九年ぶりのめぐり逢い

退職後、新しい職場に移ってから二か月たちます。とはいえ、週三日の仕事ですので、八週間でまだ二十四日しか働いていないことになるのですが……ほとんどが慣れない仕事であり、また慣れない会議も多く、良い意味でのストレスがかかっています。

体重はちっとも減らないのですが、いいことも一つありました。乳児期に大腿(だいたい)部への長期点滴を受け大腿四頭筋(しとうきん)に問題を抱えていた宮本に、このころ老化の一種であるフレイルという事態が生じていました。フレイルとは、加齢に伴い筋力が衰え、疲れやすい症状が出てくることです、そのため階段の上り下りに苦労する状態でした。しかし、この二か月でやっと職場で三階自室までの上り(形態的には“登り”というべきでしょうか)ができるようになってきました。しかし、まだまだ下りは恐ろしく、手すりにつかまり一段ずつ下りています。

さてそんな日々の中でのことです。医局で仕出し昼弁当を早弁し、まったりとしていたとき、五十代とおぼしき(名前と顔がやっと一致してきた)副院長が話しかけてきました。

「宮本先生、こんなときになんですが……ちょっとお話いいですか。医局に置いてあった宮本先生の退職リーフレットを眺めていた時に、ふと気付いたことがあるんです。先生は医学生時代に小児科の実習で、当時大学病院に入院していた僕を担当してくれたのではないでしょうか?」

「えっえ~~」

思わず自分と同じような体型と後頭部を持った彼の顔を、まじまじと見てしまいました。今の病院では二十名ほどの医師とともに働いていますが、就職にあたり、その名簿を見た時に実は彼の名前に惹かれるものがあったのです。しかし出身大学も専攻も異なっていることに気がつき、どこかでたまたま見かけた名前なのだろうと思っていました。

「五期生には宮本という名前の方が他にもいらっしゃいましたか?実はその時の胸の名札に『5:宮本』とあったことと、そのお顔をかすかに覚えているのです」

と彼。確かに同級生にはもう一人宮本という名の男がいる上、一期上にも宮本という名前があったので、その時は半信半疑で、家に帰ってからもう一度考え直してみました。

家に帰り探してみると、書斎の机の片隅に保存してあった学生時代の黄色い名札が出てきました。そこには『5G宮本和俊』とあります。ただしこの『5』は五期生の五ではなく五年生の5です。さらに、今では札幌の実家保存となっている学生実習ノートに彼の病気(小児科では珍しい?)について勉強し記入した記憶があるのです。