(2)高校に関する改革

日本の高校というものは今の制度がベストなのか。私はそうは思わない。現在の高校生活の3年間は実に多忙な時期であって、おおよその自分の進むべき道を決めていくには教育の専門性やカリキュラムが大雑把すぎて極めて中途半端である。

これからの日本を背負っていく子供たちを育てていくには、16歳から18歳までの人生で最も多感な高校時代という大事な時間の中においては、もっと目的を明確にした教育が必要であろう。特に世界を目指す才能溢れる子供たちに、専門性を明確にした教育を行っていくことが重要ではないか。

例えば音楽の分野で生きていこうという若者には音楽を中心としたカリキュラムの高校があっていいし、絵画の分野で生きていこうという若者にはそれらを中心としたカリキュラムの高校があっていい。野球や陸上などをはじめとして、運動全般を磨く高校があってもいい。

現在の高校は一般的な教養を身に付ける教育がほとんどであって、秀でた才能を有する子供を教育する場ではない。もちろん一般的な教養を身に付けようとする子供たちは現在の高校と同じような教育を受ければいい。それはそれで意味のあることであって大事なことである。

現在の日本においては秀でた才能を持つ子供たちは、高校とは別の組織の中で個人的に教育を受けている場合がほとんどであり、家庭の負担が大きくなり裕福な家庭の子供でなければそれらの教育を受けることができないことが多い。

裕福な家庭ではない子供たちにとっては、たとえ溢れる才能を持っていても高校の3年間において専門的な教育を受けることができないというのは国家的な損失であると思う。そして不平等でもあろう。それらを考慮して提言するのだが、世界のトップを担っていく人材の育成のために前述した専門性を明確にした高校を作っていくべきであろう。

前セクションでも申し上げたが、国立小中学校と同様に、今ある国立大付属高校に独自のカリキュラムを設けて、秀でた才能をさらに開花させる高校教育を実施していくべきである。教育の平等という考え方も一方では大事であろうが、今後の日本を背負っていく極めて優秀な人材の育成というものは、もっと重要ではないのか。

そういった有能な人材の育成にとって高校で学ぶ3年間というものは、本当に大切な時間であり著しい成長ができるチャンスなのである。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『The Great Reset of JAPAN 日本の再生方法』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。