第Ⅱ部 人間と社会における技術の役割

Ⅱ-4 技術と法

2. 自動車事故に対する法律

自動車事故の場合の法律を考えてみましょう。自動車が歩行者をはねてしまう事故を例に挙げます。これについて刑法と民法では図1のように考えています。

写真を拡大 [図1] 自動車事故に対する法律

もともと、当該の自動車の運転手と歩行者との間には何の契約関係もありません。自動車の運転手が、故意に歩行者をはねることはまずないでしょう。十分な注意が足りずに、つまり過失でぶつかることが多いと思います。

そうすると、刑法では「過失運転致死傷罪」に問われることになります。刑法は故意に危害を与える犯罪に対して罰することが中心なので、このような「過失」による傷害事故を起こしたドライバーに対する罰則が緩いのではないかとの被害者の思いがありました。

また近年、飲酒運転やスピードオーバーで運転して起こす事故に対して、もっと厳しい罰を与えるべきだという社会的な批判を受けて、2007年に「自動車の運転により人を死傷させる行為などの処罰に関する法律」が刑法から切り離して制定されました。このなかで、飲酒運転やスピード違反による事故に対しては、「危険運転致死傷罪」としてより厳しい罰則が設けられました。

一方、民法では与えた損害に対して賠償することを決めますが、自動車事故は契約違反のように、あらかじめ当事者同士に契約が結ばれているものではありませんので、「故意や過失によって他人に損害を与えること」という「不法行為責任」となります。これについての具体的な損害賠償を定めたのが、自動車損害賠償保障法になります。

損害賠償にあたっての基本的な考え方は、その被害に遭った人が、被害に遭わなかった場合に生涯得られると予想される所得の額を補償するというものです。しかし、その人が傷害に遭わなかった場合の価値は、お金だけで計算できるものではありません。

お金で亡くなられた方が生き返るわけではありません。逆に計算できないので、しかたなく単に経済的な損失のみを計算して出しているだけです。

自動車事故にはこのほかに、道路交通法による決まり、行政法による決まりがあります。刑法と民法を用いて、このような考え方で事故に対する社会的な決まりができているわけですが、本来、何の契約関係もなかった人に傷害を与えることはあってはならないことです。もともと自動車が持っているパワー(単位時間に発生するエネルギー)と歩行者のパワーとを比較して示したものが図2です。

写真を拡大 [図2] 自動車のパワーと人間のパワー

自動車は約100馬力のパワー(動力)を持っています。1馬力とは、馬が発揮できる単位時間当たりのエネルギーです。これに対して、人間は0.3馬力程度しか持っていません。

車のパワーは人間の300倍ぐらいあるのです。当たり前のように乗っている車ですが、運転手は、ちょっとした不注意で殺人を起こしてしまうような機械を走らせているわけです。したがって、運転手にはとても大きな責任があります。

本来、自動車が社会で使われる場合、ぶつかったら殺人を起こしてしまうようなことのないよう、歩行者の安全を守るということが第一に考えられるべきです。しかし、自動車の利便性が優先されて、事故に対する責任は運転者が持つことにして、社会での利用が進んだのです。

その結果、毎年たくさんの交通事故が起こり、大勢の死者が発生しています。人間にとって注意不足はよく起こることです。

しかし、それによって他人に与える傷害があまりにも大きいのです。自動車に関わる技術者にとっては、歩行者に傷害を与えない自動車を開発することが本来必要であり、将来にわたってチャレンジしなければならない課題だと思います。自動車事故が「当たり前」になってしまっている社会は改善されるべきです。

一方、飲酒運転やスピードオーバー運転は、そのようなことをすれば何らかの事故を起こすであろうと予想されることを故意に行うことになります。これは例えば、大勢いる人たちに向かって石を投げるとか、通行人がいる道路のそばのビルの上から石を落とすといった、特定の誰かに危害を与えるという目的ではないが、危害を与える可能性が非常に高い行為をわざと行ったという「未必の故意」に近い犯罪となりますので、「危険運転致死傷罪」という、より重い罰を与えることになったのです。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『人と技術の社会責任』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。