アルゼンチンに行きたいと伝えたときに、フリオは何しに行くのかと尋ねた。

「あなたが生まれた国をこの目で見たい」

「見るだけ、一週間でいいでしょう。どうして、半年も行くのですか。わかりませんね。今は、インターネットでたくさん、写真あるよ」

「写真見るだけじゃダメ。あなたを見てて、思った。私もよその国で生活したいって。そして、できれば、あなたが育ったブエノスアイレスという街をこの目で見たい。見るだけじゃなくて、感じたい。わかる?」

フリオに出会う前は、アルゼンチンがどこにあるかすら知らなかったというのに、今ではブエノスアイレスにある古いカフェの名前や、貧乏人を救った大統領夫人エビータのエピソードや、ちょっとした通りや街の名前を知っている。彼が私に教えてくれたわけではない。彼は母国の話をしたがらない。でも、彼が何気なく話す言葉の端々に出てくるブエノスアイレスの景色を想像しながら、私が勝手にネットで調べた。フリオが話したがらない分、私は余計にブエノスアイレスのことを知りたいと思った。

「わたしは、今のブエノスアイレスを知らない。たぶん、わたしのこと覚えてる人、だれもいないでしょ。おじいちゃんもおばあちゃんも死にました」

私は彼のことを知っている人が日本以外にいるということを考えもしなかった。そうなのだ。ブエノスアイレスという街で育ったということは、そこに彼とともに成長した人もいるということだ。ひょっとしたら、幼い彼のことを知っている人に会えるかもしれないと思うと、ますますブエノスアイレスに行きたい気持ちが募った。

「おじさんとかおばさんは?」

「こっちにきてからずっと会ってない。最近は、連絡もしてないよ。知ってるけど、覚えてないね。忘れました」

もう、アルゼンチンの話はしたくないというように、フリオは目をそらし、遠くを見た。

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※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ポジティボ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。