彼のおじいさんおばあさんにとっての母国が彼にとっては異国だというのが不思議な気がする。祖父母のルーツは日本にあるのだから、彼のルーツも日本にありそうなものなのに、周囲の日本の人たちは、彼のような人を外国ルーツの日系人と呼んでいる。

彼と話をしていると、言葉が違うということだけでなく、生活感そのものが、全く違うということを、感じる。祖父母は日本生まれの日本育ちでも、孫の世代になると、実生活は生まれ育った国の様式に慣れてしまう。心はいくら日本人だといっても。日本語教師として、外国人の若者に接しているときには、

「言葉」を教えればそれでいい。でも、フリオの姿を見ていて、言葉がいくらわかったところで、その国の生活習慣や文化になじまなければ、生活するのは難しいと悟った。私は、異国で生活する生活のしづらさを自分で経験したくなった。日本語教師として、その経験は役に立つ。そしてどうせ異国で生活するのなら、フリオが生まれ育った場所に行くべきだと思ったのだった。

観光ツアーではなく、生活しなければ意味がない。春と夏と秋と冬との全部を知りたいとも思ったけれど、予算を考えると半年がせいぜいといったところだ。それでも、そこでの暮らしというものを多少なりとも感じることができるだろう。生活はなんとかなる。何ができるかもわからないけれど、今の日本の生活をうっちゃってとりあえずアルゼンチンに行く。

生まれてからこの方、敷かれたレールから外れるということを考えたこともなかったけれど、私は心のどこかで、一人でぼんやりと生きていくことに飽きていたのだ。フリオに会ったことで、その心の扉が開かれた。開かれた扉の向こうには、一人で行かなければいけないと思った。

フリオという人を育んだ場所や空気や雰囲気や水や暮らしや食べ物や飲み物や人や草や木や鳥や猫や犬や、そういういろいろ雑多な事柄に触れてみたいと思った。