一九七〇年 夏~秋

4 マユミの嘘泣き

やや軌道を低くした晩夏の太陽が、湧き立つ入道雲をかわしながら、のろのろと西へ移動していました。開け放した窓を吹き抜ける風は、一時の茹(う)だるような暑さではなくなり、神社の樹々で鳴く蝉の声も、もはや天を揺るがしてはいません。盆の三日をひたすら休養した村人たちが畑仕事を再開しています。

百姓屋の仕事は身体が動く限り、無限に湧いて出るのでした。そぞろ慌(あわ)ただしい中、私も昼寝どころではありません。夏休みは残り二週間を切っており、手つかずの宿題を前にして途方に暮れていました。

その日は、似たような状況のマユミと洋一が、最後の悪足掻(わるあが)きをしに来ていました。先日の出来事を、二人は誰にも話さなかったようです。

洋一の顔にはまだ無惨な青痣(あおあざ)が残っていますが、マユミは以前と変わらず快活でした。私たちはお互いに忘れたふりをしていました。

「なあマユミちゃん。万博どないやったん」

私は頭を振って、あの時見たものの残像を追い払います。兄妹は夏休みを利用して、二泊三日の万博見物に行ってきたのでした。

「ごつかったわ。なあ兄ちゃん」

マユミは算数が苦手で、さっきから一ページも進んでいません。生来(せいらい)理詰めな思考が不得手なのでした。

「うん、ごっつよかった」

洋一が暗い顔に明かりを灯(とも)します。

「じゃけん何がよかったんて聞っきょん」

私はじれて聞きました。

「僕は月の石じゃな」

『アメリカ館』では『アポロ12号』の持ち帰った『月の石』が展示されており、日本中で話題にのぼっていました。

「ほこいらの石とちゃうん」
「地球のもんとはじぇんじぇんちゃう」
「なんがちゃうん」
「キラキラ光っとったわ。ほおら綺麗じゃった」

洋一は視線を宙に彷徨(さまよ)わせます。

「目に見えん宇宙線が出とるんよ」
「当たったらアホんなれへんの」
「むしろ脳が利口(りこう)んなる。テレビでほう言うとったわ」

それを浴びてきた自分が、さも賢くなったような口ぶりです。その頃の日本では、あちこちで原子力発電所が建造されていました。それが半世紀もたたないうちに、大事故を起こすとは誰も想像だにしていませんでした。放射能は身体に良いとさえ思われていたのです。

「人が多すぎてなんちゃ見えんかった」

マユミが不平を言いました。長い行列に三時間も並んだのに、ほんの数秒しか見せて貰えなかったそうです。

「うちには普通の石ころにしか見えんかったけんど」

こんなちっこかったしな、とにべもありません。

「ほなマユミちゃんはなんがよかったん」

私は何が何でも万博に行く気になっていました。

「色々あるけんど……」

マユミは小首を傾げて考え込みました。半開きのぽってりした唇が、リップクリームで光っています。髪の毛もいつもの三つ編みではなく、少女漫画風のスタイルに変わっていました。腋臭(わきが)が気にならなくなり、石鹸の仄(ほの)かな香りを漂わせています。更に驚いたことに、ブラジャーを着けているのでした。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。