【前回の記事を読む】成長環境だけが要因じゃない!英語習得の達人になるための「才能」とは?

英検1級信仰

それから二十数年後、大学生の息子と高校生の娘が準1級受験で苦戦しているのを見て、

「お父さんが準1級の上の、1級に合格してみせる」

と言い切って受験。ところが仕事でも技術翻訳や外国出張などの経験を積んだにもかかわらず、1回目は1次試験で不合格B、2回目も不合格Aと、2次試験にまで進めず、3回目にやっと1次試験をパスしたのである。

1960年代から90年代までの30年間で英検の難易度が高くなったと思われる。そこで、英検1級をめざす通信教育を受講し、特に苦手なリスニングとスピーキングの自主トレを始めた。しかし間もなく勤務していた会社の人事異動で1994年8月、静岡県の掛川市へ単身赴任となった。

掛川は全国有数の緑茶の生産高を誇る、人口約11万2千(私の赴任当時は8万弱)の、掛川城で知られる城下町であった。掛川城は戦国時代に山之内一豊が城主となって天守閣や大手門などを建設した「東海の名城」である。1854(嘉永7)年大地震により天守閣など大半が損壊し、再建されることなく、明治2年廃城となった。その後、天守閣は1994年に木造で再建された。

[写真1]掛川城の前にて(1997年)前列中央が筆者

私はそのお城の裏側、国道1号線を越えた辺りの北門という所にあったアパートに住むことになった。近くには学習センターや図書館があり、閑静な、勉学にはほど良い環境であった。しかし、驚いたことにNHKラジオの第二放送は雑音が大きく、語学番組があまり快適に聴取できなかったし、関東方面ではよく聞こえる、東京・横田基地からの米軍放送(FEN:現在のAFN:AmericanForcesNetwork)が掛川ではほとんど聴取できなかった。したがって語学の練習はカセットテープに頼らざるを得なかったのである。

英検1級のリスニング訓練ともなると、FENのようなアメリカ人(米兵とその家族)を対象とした生きのいい英語に挑戦しなければ、などと思っていた。

1990年代初期の頃は今ほどさまざまな英語媒体がなかった。CDもまだ広く一般化してはいなかったし、携帯型オーディオプレイヤーは数社の電機メーカーから市販されていたが、カセットテープ用で、現在のようなデジタルデータを取り込む超小型軽量なものではなかった。現在ではNHKテレビの国際放送や多重放送、ラジオの多様な語学番組、聞き逃し番組を何度も聴けるシステムなど多くの音源を利用できる。また、インターネットが今ほど普及しておらず、現在のようにSNSで英語ニュースや音楽を簡単に視聴できる状況になかった。