序章 三人寄れば地獄行き

一郎は店長から謝礼として一万円もらった。この副収入はありがたい。あとは自転車で大門をぶらぶらしてから、何かおいしいものを買って帰ろう。大門のグリーンベルトを通ると、まだ港祭りには少し日があるのに出店が一軒出ている。そのテント小屋の入り口には、『無料です。皆様ぜひお入りください』とへたな字で貼り紙があった。

時季はずれのテント小屋も訝しいが、問題はそこではない。テント小屋から漏れくる邪気がものすごいのだ。『花つつじ』の邪気など全く問題にならない。かつてこのような邪気は経験したことがない。これは絶対何かある。一郎は自転車をテント小屋の脇に置いたあと、自らに気合を入れて小屋の中に入っていった。

この恐ろしい話を書き残すかどうかは、ずいぶん迷った。いつまでも記憶の奥底に封じておきたいことだったからである。またこれを発表したところで、世間一般の人が信じてくれるとも思わない。しかし、自分の心に区切りを付けるために、どこにも公開しない日記の中に書き込んでしまうことにした。

私は去年の秋、妻を病気で亡くした。数日調子が悪かったのだが、私が病院に行けと言っても風邪だから大丈夫ということを聞かなかった妻は、急に具合が悪くなり救急車で病院に運ばれたが、敗血症になっていてどうしようもなかった。

私たちには、千穂という小学校三年生の娘がいた。娘を預けられる親戚が近くになかったので、学校が終わると千穂を近くの学童保育所に預け、仕事を終わらせ夕方六時に迎えに行くという生活が始まった。

私の仕事は印刷会社の営業員だったので、本来残業は付きものだった。社長は最初は私の事情を考慮してくれて、定時に帰宅しても何もいわなかったが、仕事の受注が増えてきて業績も上がるようになると、仕事が回らないから残業してもらわないと困る、と言うようになった。他の営業員は毎日残業しているわけだし、自分ばかり定時で上がるわけにもいかない。売り上げは平均以上に上げていたが、やはり会社にいづらくなって私は辞表を提出せざるを得なくなった。

しかし、路頭に迷うわけにはいかないので、前もって取引先の食品会社の竹田さんという専務に事情は話しておいた。専務とは趣味の囲碁を通じて個人的に大変親しかったし、人情味のある人で私のことも同情してくれていた。そしてもし何かあったら面倒見てやるから、俺のところに来いと言ってもくれていた。