一部 ボートショーは踊る

何時だったか、横浜に住んでいる京子の姪の、カウンセラーの職についている伸子から、息子の久志の学校での友人関係の悩みについて打ち明けられた。言いにくそうに話す久志に根掘り葉掘り問いただしたところによると、好きな女の子ができ、その子と話し合っている時、自分では気付かないで、とても、どもっていたらしい。それを意地の悪い男友達にからかわれ、学校内のいじめ問題になっていった。

伸子にとってみれば、そんな些細なことで騒ぎを起こした息子の方が何か精神的な問題を抱えていないかと気になって京子に相談にやって来た次第であった。

「そんなの気にすることはないよ」

そう口をはさんで慰めたのが、脇で話を聞いていた俊夫だった。

「どもったとしてもそれは久志君の優しさの証だと褒めてやれば、いつか彼も心の中で消化してしまうよ。カウンセラーの君にこんなことを言うのはおこがましいが、僕は自分の幼い頃の経験から言うんだよ」

「あなたの経験て何よ」

「僕の場合はもっと深刻な問題だった。この年になるまで、今も引きずっている位だからね。たしか小学校に入るか入らないかの頃だったが、牛を使うお爺さんの近くで遊んでいて、お爺さんから右の地下足袋が破れたので代わりを持って来いと言われた。右か左か分からなくなって左を持って行きお爺さんからこっぴどく叱られた。すごすごと二度家に戻り直すことになった。

そのことがトラウマになり、それ以来自分が変だと意識し始めた。右という言葉を聞くと野球をやるときに右ピッチャーがどちらの手で投げるか、手を振ったり、ボールを投げる仕草を確かめてからでないと右と左が判断できない。その判断には少なくとも十秒ぐらいはかかる。場合によっては永遠に続く責め苦のように感じられることもある。

もっとも、トラウマになったのは地下足袋の右と左を間違えた為ばかりではなかったかも知れない。牛の話のついでにもう一つ馬鹿話をするがね。お爺さんが地下足袋を履き替える為に、牛の手綱を僕に預けてしゃがみ込んだすきに、牛はじろりと軽蔑の眼差しで僕の方を見た。手綱を持っているのが僕であることを知るや、勝手な方向に走り出した。それまでずっとお爺さんに従順だったにもかかわらずにね。僕は慌てふためいて、お爺さんに助けを求める羽目になった。

そう、牛はその時じろりと軽蔑の眼差しで僕を見たんだ。地下足袋の右と左を間違えた僕をね。僕はそう感じてショックを受けた。今になって思うと、そんな判断を牛がしたとは思えないが、僕は瞬間的にそう思い込み、それが一生続くトラウマの原因になったんだと思うよ」