自分史の「力強さ」

二〇一〇年一月

山崎三智治は長野県の出身だった。りんご農家の実家は「我が一代の記」を執筆した智之輔の息子・智治が受け継いでいた。この地で十六代続く家なのだと言い、先祖代々「智」の字を名前に付けるのが家訓で決められていた。

三智治の兄は智一(ともかず)で姉は()()()、覚えるだけでも紛らわしくてくらくらした。登場人物が多い時は読者が混同しないように印象の違う名前にすることが鉄則なのだが。

松の内が過ぎてから、万里絵は挨拶に長野に出向いた。母親は早くに亡くなっていて、家業を継いだ智一も、家族の世話をしている二智花も四十代に近くなりながら独身だった。先に次男の結婚が決まったからと言って、式を挙げようという様子もなかった。父親の智治には、どこか人を斜に見るような印象があり、口調も皮肉っぽい。

初めての夕飯は、テーブルの上に並ぶ蕎麦がきやおやき、大皿に盛られた煮物に圧倒された。尋常な人数換算をしたとも思えない量を目の前に、フードファイターになったような気がした。

焼酎を飲み始めてからの智治の口ぶりでは、万里絵を気に入っていないことが明らかだった。三智治を苦労して育てたことは想像がつく。Ⅲ種の公務員試験に合格して、東京で警察官をしている息子は自慢の種なのだ。

「どうもあんたは細過ぎるのではないか。病気ばかりされているようでは三智治の嫁など務まらない。出版社勤めだと言うが、三智治の仕事は正義を守り、人を守る仕事なのだから、二十四時間、あんたが支えなくちゃならんだろう」

酔いが回ってか、同じ説教が繰り返される。この父親と結婚するわけでもないし、三智治の仕事柄、住まいは東京都内に限られている。お盆などには、里帰り外交くらいは付き合わなくてはならないだろうが、その時は聞き流しておけば良いのだ。そのくらいの演技はできる。

そのうちに親戚の人たちが集まり始めた。三智治の嫁が決まった祝い事の大宴会となった。

万里絵は隣に座らせられた本家の年配の男性に、智之輔の一代記の本を読んでみたかと尋ねた。見たことも聞いたこともないとの返事が返ってきた。その後もお酌をする羽目になった親戚の何人かにも聞いてみたが、誰も知らないと言い、どうも一冊も配ったようではなかった。

今さらながら、万里絵と知り合いになる口実だったのかと苦笑した。万里絵の花巻市の両親も、相手が公務員で安定感があることを好ましく思ったようだ。

「お姉ちゃんが自分で彼氏、ゲットできるなんて驚いた」

妹の芽里(めり)()が笑った。付き合っている男が二男だったこともあって、繰越長女になってもいいとまで言い出した。万里絵は二十五歳になった春、山崎三智治と結婚した。無尽の幸福な日々が続くのだと思えた。