グループ展期間中は、つなぎの仕事をひけると、修作は毎日銀座へと直行した。

閉廊間際のわずかばかり画廊に滞在し、一日の客の入りやエピソードを聞いたりし、その後きまったようにみんなで居酒屋に流れていき、酒を飲んだ。

画廊には毎日彼らの同じ大学仲間が大勢やってくるので、画廊は常に賑やかだし、その後の飲み会もまた、入れ替わり立ち替わりの盛況だった。

修作はもともと前に出る性格ではないのと、人交わりの苦手な質が、彼らのなかにいても、ただ静かに飲み、勢いのある美大生の熱量に気圧されたかのように、できるだけ存在を消して、早く解散にならないかと、毎度考えて座り、どこか彼らを違う人種を見るように、遠い目で眺めていた。

多勢の美大生に、いつしかやっぱり自分は受験戦争に負けた敗者なのだという意識がふくれあがっていった。敗者の自分が美術を続けていいのか……。

それに、修作はグループ展などやっている場合ではなかった。

グループ展がきまってから、実家の問題が符合するように噴出していたからだ。

長男の放埓の時が長くなるにつれて、故郷の家族が解体してしまうかもわからない状況下に陥っていたのだった。

そんなこと全く知らずに、家族の危機感を察知することもなく、修作はのうのうと一人で好きなことをやっていたのであった。

グループ展直前に、いよいよ父に呼び出され帰省し、「長男として、お前はいったいなにをかくれてしている、家のことをどうするつもりなのか」と問いただされ、グループ展にたまたま誘われて、断われずに、参加してしまった、終わるまで待ってほしい、と苦し紛れの返答をしてその場をごまかし、グループ展に臨んでいたのだった。

長男としてやるべきことの答えを出して、グループ展が終わる日の夕方の電車で、もはや帰ることを固く約束もされていた。

修作はB全パネル二枚をギャラリーに持ち込んだ。

パネルには和紙がはられ、半分だけ墨を流しがけした残りの白い余白部分に黒くぬった一本の棒を立てかけた。

会期中に、オーナーに、その一本棒を「これは何ですか?」、と聞かれた修作は、「これは、わたしの孤独です」、と答えた。「えっ⁉ 何です、それ⁉」、と言ったきりオーナーは固まってしまった。仮寓で制作中に、ふと壁に立てかけてあった一本の角材が、何やら自分のように思えてしまったのだ。それをB全二枚をつないだ作品に立てかけるアイデアが浮かんだのだった。

抽象画は修作だけだったので、他のメンバーたちには、アイツはヤル気はあるのか、手を抜いている、と突飛な一本の棒とともに、陰で疑われていたらしい。

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※本記事は、2022年8月刊行の書籍『ノスタルジア』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。