オンライン追悼会

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彼はベランダにたたずみ販売員の説明に感心した振りをしていたが、この建物に足を踏み入れた瞬間、一目でこの建物の弱点を見抜いた。この種の高層マンションは震度七・五以上の大地震に限りなく(もろ)い。建物が持ちこたえてもライフラインの破壊や家具の落下から来るクラッシュ症候群にはほとんど無力だ。

もちろん不動産会社の販売員はその部屋で有名な人気作家がベランダから転落死したことなどおくびにも出さなかったし、松野もそんなことは全く知らない振りをした。部屋の中の家具はきれいに運び去られて何もなくガランとしていた。このマンションが建ってから斉田寛が最初の入居者だったらしく室内はほとんど新築同様である。

しかし彼がここへ来た目的は別の所にあった。彼が見ていたのはベランダの高さと、自死をしようとする人間が手すりを乗り越えようとするならばどんな障害があるかということだった。ベランダの手すりは一メートル二十センチ以上あり、思いのほか高く踏み台でもないと簡単には乗り越えられないということが分かった。

販売員は熱心に物件を説明した。オーナーは流行っている都心の開業医で、将来の財テクの為にこのマンションを買い、人に貸している。家賃は多少交渉に応じるそうである。

ただ松野は不思議な疑問に捉われた。このどこもかしこもピカピカで幾何学的な建物はミステリー作家には似合わない。斉田が亡くなるひと月前まで仕事場として使っていた木造の一軒家は昭和四十年代に建てられた相当古びている建物だったが作家が一人深夜にミステリーを執筆するには、(はる)かにふさわしいものに思えた。

斉田はどうして急にあたふたとこのマンションに引っ越したのか? あの家は家主に追い立てられていたのか?

彼がここで知り得ることはこれぐらいだった。彼は立ち去り際に不動産の販売員に家族とよく相談してから返事すると言った。