この小学校四年生の息子の日常生活を見ていると、面白いことに気づいた。息子は、毎朝六時に起床し、朝食を食べて六時半には家を出て「小学校」というところに行くらしい。

母親と息子の会話を聞いていると、小学校には朝八時までに登校すればいいようだ。しかし、この息子は、七時には登校して友人たちと校庭でサッカーをするのが唯一無二の楽しみらしい。

ご主人が、時々愚痴(ぐち)をこぼしながら仕事に行く様子に比べると、小学校に行くのが楽しみな息子の方が幸せなのではないかと思える。まるで、生きていること自体が「喜び」のようである。人生は、こうでなくっちゃいけない。

吾輩のような室内犬には、小学校があるわけではない。朝と夕方に二十分ほど散歩に連れていってもらうこと、朝夕の食事をいただくこと、時折おやつをいただくこと、この家の家族と交流して触れ合うこと、そして寝ること以外に楽しみはない。

しかし、この家族を見ていると、息子は小学校に行き、ご主人は中学校に仕事に行き、奥さんも美容室の仕事に出かける。すなわち、日中は、皆各自で仕事や学校での勉強など何かに携わっているのだ。

この息子は、放課後は学童保育に行くらしく、仕事が終わった母親と一緒に夕方六時頃家に帰ってくる。しかし、最近は一ケ月前から夕食後に「学習塾」というところに通いだした。なんでも「中学受験」のために特別の勉強をするそうだ。ご苦労なことである。

新しい知識を得ることが「楽しみ」、「喜び」であるなら問題はあるまい。しかし、ただ受験に合格するためだけに競争心を(あお)って知識を詰め込むだけであるなら、小学生の時期に友人と遊びながら獲得するべき「大切なもの」を失っているような気がする。