一部 事件発生と、幼なじみの刑事とお巡りさん

二〇〇五年九月二十三日

「私、中学のとき、密告したの。岡島竜彦という生徒が学区外から通ってるって。特別扱いするなって」

江藤詩織はわっと泣き出して両手で顔を覆った。

何ということだ。自分と同じことをした人間が、他にも居たなんて。しかもそれが、当時交際していたはずの江藤詩織だとは。高倉豊は、口をあんぐりと開けたまま江藤詩織を見ていた。

彼は自分が長年抱いてきた、罪の意識が軽くなっていくのをはっきりと感じていた。もちろん過去の罪は消えないし、償うことも出来ない。だが自分以外にも、岡島竜彦の人生をめちゃくちゃにしてしまった人物が、一人居たのだと知ったことで、罪の重さは半分になったと高倉豊は考えたのだ。

仮に一人の人間を高倉豊一人で殺してしまった場合、彼が絶対的な殺人者であることに疑いの余地はないのだが、もう一人の仲間を加えて二人で殺害したとき、二人のうちのどちらが致命傷を与えたのか、あるいは主導的な役割を果たしたのかという問題が出てきて、その責任の所在が曖昧になってしまうことがある。そうなると、彼等は自分の犯した罪に対して、自己弁護と責任転嫁という二重の機会を得ることが出来る。少なくともそれは裁判に於いて、犯罪者達が罪の重さから少しでも逃れるための強力な武器となる。

つまり高倉豊は共犯者を得たのだ。それも三十四歳という年齢を考えれば、同い年の女性達よりも遙かに美しい共犯者を。

つい先日の花火大会で出会ったときは、薄暗がりではっきり確認することは出来なかったが、街灯に照らされている江藤詩織は、高倉豊の三歳年下の妻よりも若く見えた。それだけでも彼には、ちょっとした驚きだったのだが、江藤詩織から中学時代の面影を、少しも感じ取ることが出来なかったことにはもっと驚いた。

美しい大人の女性に変貌したと言ったら褒めすぎだろうか。化粧の影響もあるだろうが、それだけでは説明することが出来ない、本物の美しさが江藤詩織にはあった。もしも男のように声変わりがあったなら、彼女本人だとはとても思えなかっただろう。

江藤詩織に、子供は居るのだろうか。高倉豊は中学時代の友人達とは、高校のときに既に付き合いがなくなっていたし、大学に入ってからはずっと神戸で暮らしていて、赤穂には二、三年置きに正月に戻る程度だったので、中学の頃に親しかった友人達に会うこともなく、江藤詩織の噂話を聞くこともなかった。そのため彼女が、結婚しているのかどうかも知らなかった。それなのに高倉豊は、泣いている江藤詩織を見ているうちに、彼女は結婚していないのではないかと思うようになっていた。

日々の生活に疲れていない美しさを、この公園で話しているうちに感じていたからだろうか。否、違う。それもあるが、庇護を求めるように震えて泣いている姿には、彼女の中学時代を思い起こさせるものがあったのだ。そんな可憐な雰囲気を感じさせる江藤詩織が、結婚している訳がないではないか。