給与も会社の好業績を反映して順調に上がってきている。だが、まだまだ余裕のある暮らしとは言えない。真子の妊娠をきっかけに購入したこの3LDKのマンションは、もともと多少背伸びをした買い物だったこともあって、月々の住宅ローン返済が重い。

特に、初期のローン返済額の中身はほとんどが金利相当分なので、元本がなかなか減らない構造になっている。元本が減らなければ、当然利子も減らない。債務者からより多くを回収するための良くできた仕組みだ。晴れてローンを完済する頃には、私は六十代半ば。気の遠くなるような話だ。

仮に社会人生活を四十年とすると、そのほとんどの期間を借金返済に充てなければならない計算になる。真子はいわゆる専業主婦なので、私が働けなくなったら我が家の収入は断たれてしまう。ローンを組む時に団体信用保険へ強制加入しているので、私に万一のことがあっても残される家族の住まいだけは保証されているが、それだけで安心できる筈もない。

いざという時に備えてのがん保険や医療保険にかかる掛金も、月々数千円とはいえ積み重なると地味に家計に効いてくる。そうこうしているうちに手元に残るのは月に数万円程度。これをコツコツと貯金と投資信託に回しているというのが家計の実情だ。まあ、我が家のお金は全部しっかり者の真子が仕切っているのだが。

「ようやく寝てくれたわ。私も一緒に寝落ちしちゃいそうだった」

「そう。お疲れ様」

シルクのパジャマに着替えた真子が眼をこすりながら戻って来てリビングテーブルの向かいに腰掛ける。私はパソコンのディスプレイに目を向けたまま短く答えた。仕掛かり中の案件が、もう少しで片付きそうなのだ。

「栞、だいぶ幼稚園に慣れてきたみたい。朝も泣かなくなったし、お友達とも仲良く遊んでいるって先生が褒めてたわ」

「良かったじゃない。思ったより早く馴染んでくれたみたいで」

入園し立ての栞は、母親から離れるのを嫌がって毎朝ギャンギャン泣き散らしては真子を困らせていた。あれからまだ二か月しか経っていないことを思うと、子供の順応性の高さは本当に目覚ましい。

「でね、来月から栞のお友達が通ってる英会話スクールに入れてみようかと思うんだけど、どう思う? あと、水泳教室にも。ほら、あの子、他の子より小さいじゃない。今のうちにできるだけ身体を強くしてあげようと思って」

「本人がやりたいって言ってるなら、やらせてみたらいいんじゃない。俺は反対しないよ」

私はメールの送信ボタンをクリックし、ノートパソコンを閉じた。この後に来るであろうクライアントからの返事が気にはなるが、確かめるのは明日にしよう。あまりに仕事に夢中になり過ぎると、真子は機嫌を損ねる。

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