第一章

今年の夏は耐え難く暑い。厨房は殊更暑い。メニューも夏向きに火を使わないものをと、カルパッチョやステーキターターが増えた。魚は築地に出入りの魚屋が注文に応じて配達してくれる。この間は予約客の前菜に巻き寿司を出した。アメリカ風の太巻き。一人一切れで、大きなお皿にきゅうりやミョウガや生姜の酢漬けと一緒に盛り付けた。ピリ辛ごま醤油をかけ回してある。デザートもかき氷だったり、シャーベットだったり。

オーナーは稲穂虎次さんといい医療製品会社の経営者で馬主である。で、めったにレストランには来ないので、ほとんど鳩山さんが采配を振るっている。私を入れて11名の従業員が、2交代の8時間制できちんと働いている。

稲穂さんは馬好きで、レストランの装飾には馬関係のものが多い。入り口の厚手の木のドアには蹄鉄型のドアノブが付いている。お客様には馬主の方も多く、たまには外国人も訪れる。そうそう、この間は有名な騎手がご夫婦でいらっしゃった。

ところで私の卵問題はまだ解決してない。洋子さんがこれまで全ての卵の殻を割ってくれるので助かっている。彼女は古株で、孫までいる62歳。昔このレストランの副料理長であった方の奥さんで、ご主人がお亡くなりになった時は下のお子さんはまだ小学校だったそうだ。洋子さんが二人の子供を無事育てられたのは鳩山さんの理解があったからだということで、彼女は骨まで埋める感じで働いている。

私は職場に恵まれていると思う。卵の殻が割れない副調理長でも首にはなってないのは鳩山さんのおかげだ。私は料理好きだったけども、レストランで働くとは露ほども思ってはなかった。大学は明治大学で、国際日本学部を専攻していた。私立で私の授業料は高かったが、母が保険会社で残業して支払ってくれた。そして私が卒業した時は本当に喜んでくれた。自分は大学中退の身なので、私だけはと思っていたようだ。

しかし、私の就職活動は思うようにいかず、格好な職場はなくて、先生にもなれなかった。たった4年の勉強では翻訳業にもつけないので、アメリカにでも行こうかと考えて代々木を歩いている時、ある芸能事務所の人にスカウトされ、モデルとか俳優はどうかと持ちかけられた。一応名刺をもらって入院中の母に相談した。

母は、「それはあなた次第でしょ。モデルとか俳優とかやりたいならやれば?」と抗がん剤で、苦しそうな顔をして言った。

私は一応面接に行くことにした。その日は秋晴れで銀杏が黄金色に輝き、早く着いた私は同じビルの中にある料理専門学校のビラを見ていた。すると扉が開き、出てきた男性は、忙しそうに腕時計に目をやり、歩いてくる生徒達を中に招き入れた。

私にも目を止めて、「どうぞ。今日の講習は無料ですよ」と言った。

私はモデルのほうをすっぽかして講習に参加した。男性は「馬耳東風」と言うレストランから招待されて来た鳩山という講師で、演題は「なぜいいレストランは大事か」だった。その後、私はこの専門学校をバイトしながら卒業したが、母はガンであの世へ行ってしまった。私が副料理長になるのを見ることはなかった。