一九九七年 ナオミ@社員寮

こおぉちゃぁん! 

好きすぎると、こんなに辛いなんて知らんかった。なんで胸が痛い? 痛いのを通り越して疼く。目が覚めた瞬間にはその面影で心は満タンになる。自分のアホさを思い知らされ自己嫌悪に陥る日々を癒してくれる。感情を押し殺す八時間と残業をやり過ごすエネルギーになる。

ナオミが一日の大部分を過ごす工場で、やっと慣れた手順が変わった。人間が減った。五人分の仕事を二人でできるシステムになった。冷や汗の日々。早口で説明され、メモを取るのが間に合わない。トイレに行けない。古いマニュアルしかないと思ってた。新しいのは来月配布だって! 

もっと早く! って言いたいけど言えない。アタシは失敗ばっかり。怒られてばっかり。考えないようにしてても出勤の準備をするたびに胃が痛くなる。ナオミはこめかみをマッサージした。若くて給料が低いから人員削減の対象から外れた。なんでみんなは機械みたいに集中できる? 

みんな限度を超えてるからストレスで苛立つ。息詰まる人間関係。神経を張り詰めて綱渡り。アタシはこの身を削って給料を貰う。転職すれば時給の仕事になってしまう。ボーナスない。健康保険や年金とかの社会保障もない。有給休暇もない。学校を卒業するときに人生が固定されてしまうなんて、知らんかった。

ナオミは癒しを求めてフレームに入った写真を眺める。一番安かったフレームにピンクの貝殻。二人で歩いた海岸で拾った可愛い貝殻をまわりに並べて貼り付けた。貝殻に囲まれてる思い出、アタシの二十一歳の誕生日にこーちゃんと半分こにして食べ比べたサーロインとシャトーブリアン。

もし、もし、ずっと一緒に暮らせたら、朝は先に起きて爽やかな顔を作っとく。朝ごはんもお弁当も、他の女の人に取られないように、頑張る。って思ってた。二人でお店に入るとお店の女の人が「兄妹ですか」って聞く。「違います」ってこーちゃんが答えると彼女たちの表情に残念が浮かぶ。

即答してくれるこーちゃんのことは嬉しいけどアタシは気が抜けない。アタシの両腕からこぼれ落ちるこーちゃんを待ち受ける人が次々に出てくる! 

窓の向こうが暗くなり自分の顔が映る。ガラスに映る目も頬もただ、やつれて。沈没していくのに逡巡が止まらない。

二人で生活できたら、アタシは仕事終わって、晩ご飯作れる? でもやる。癒してあげる。って思ってた。二人の稼ぎがあればもう少しだけ便利なとこに部屋を借りて、車買って、地吹雪を体験しに旅できる。こーちゃんがもう一度見たいって言う、荒れ狂う波が泡立ってクリーム色の花になって、視界いっぱい飛び散る海にもいく。海が吠える、風が吠えるのね。