第4章 皇室、神道

進駐軍を、おそらくたまげさせたのは、この「全国巡幸」だっただろう。彼らには考えられぬ発想である。当然民衆からの危害を考えたはずである。

夫を失い、子供を失い、家を焼かれ、原爆を落とされ、あるいは自ら傷痍軍人になり、みなし子になった、それらの人々(火薬庫)の中に昭和天皇は、無防備で飛び込んでいった。これは、天皇が命をかけたとしか思えない。勝負したのだ。

天皇の目的は何だっただろう。「復興」だったと思う、「物」は勿論、「心」の。国民はそれを理解した。

わざはひを わすれてわれを 出むかふる
民の心を うれしとぞ思ふ

日本人は天皇を万歳で迎えた。私自身は、昭和25年3月26日日曜日、徳島県那賀郡富岡町・富岡小学校で天皇を奉迎している。司教団がどう考えようと、この人々が、「宣教しようとする相手」である。話を聞いてもらうべき人々である。

「宣教活動は福音を告げる人とこれを聞く人との両者があって成り立つのであるから、人々の協力を得ることが極めて大切である。」(『日本における宣教について』1976年1月)

それを1989(昭和64)年1月7日の司教団通達は、断ち切った。いかなる必要があってあの通達を出したのだろう。私に分かることは、それが宣教を目的としたものでない、ということだけである。

昭和天皇は多くのカトリック聖職者および施設を訪ねている(以下『昭和天皇実録』による)。

21年12月19日  (皇居)財団法人慈生会理事長フランシス・ヨゼフ・フロジャック(神父)を皇后とともに謁。

22年8月14日 秋田市「聖心愛子会」

22年9月8日 財団法人慈生会那須農場(理事長フランシス・ヨゼフ・フロジャック)。

23年1月23日  財団法人慈生会理事長フランシス・ヨゼフ・フロジャック(神父)を皇后とともに御引見。

23年6月9日  枢機卿フランシス・ジョセフ・スペルマン、大司教ジェラルド・トーマス・ベルガン、司教ジェームズ・エドワード・ウォルシュ、御引見。

24年5月25日  大村、コンベンツァル聖フランシスコ修道会戦災孤児養護施設、「聖母の騎士園」訪問、聖歌「日出ずる国」を歌う園児に対面。

24年5月27日 長崎・西坂「二十六聖人殉教地」、永井隆博士と子女二人にお言葉。

24年5月30日 熊本、戦災孤児等養護施設、財団法人慈愛園(ルーテル教会系)

24年6月3日 鹿児島、「ザビエル記念聖堂」

24年6月8日 別府、孤児収容施設「別府小百合愛児園」、聖歌と君が代を聴く。

『フロジャク神父の生涯』(五十嵐茂雄著 ベタニア修道女会 昭和39年12月12日初刊)によれば(伝記ではフロジャクと記されている。昭和天皇実録では、フロジャックになっている)、

昭和15年10月  ご下賜金を受け、ベトレヘムの園に紀元二千六百年恩賜病棟竣工、患者収容数を倍加する。

昭和21年7月 那須の旧御料地約300町歩の貸付を受け直ちに開墾を開始。

「慈生会」が皇室の並々ならぬ援助を受けてきたことが分かる。昭和15年には病棟1棟分の下賜金を賜っている。太平洋戦争開戦の前年であり、フロジャク師はれっきとしたカトリック神父だった。昭和21年那須の300町歩は、すなわち300ヘクタールである。

一人の夫人が追悼文を寄せている。

洗礼を授けられし
フロジャク神父をいたみまつりて
最後の握手皆様によろしくとみ声細く
仰せありしも悲しき思ひ出


正田きぬ

1921(大正10)年3月3日から9月3日までの6カ月間、当時皇太子であった昭和天皇はヨーロッパ各国を歴訪した。随員の一人だったのが山本信次郎海軍少将で、当時「東宮御学問所御用掛」として皇太子裕仁親王に仕えていた。熱心なカトリック信徒だった。

ローマ教皇ベネディクトゥス15世との会見実現に尽力した。山本信次郎氏のご長女・武子氏は聖心愛子会の修道女だったと記されている(『父・山本信次郎伝』中央出版社 1993年6月30日)。

昭和天皇が聖心愛子会を訪ねたのはそういうつながりがあったのかもしれない。濱尾文郎枢機卿のお通夜には、今上天皇から供花を賜った。枢機卿は天皇に、ラテン語をお教えしていたと聞く。兄君・濱尾実氏は東宮侍従で、皇太子殿下のご教育にあたった。以上のように皇室とカトリック教会は、親密な関係であった。

そのことは、おそらく多くの日本人に、カトリック教会への安心を与えるものだった。聞く耳を開かせるものだった。カトリック教会にとっては「宣教」の大きな財産だった。

昭和天皇はカトリックに対して親切にして下さった。その死に際して司教団は、教会としては知らんぷりしろと指示した。

こんな不人情な人の語る「良き話(福音)」を、人々が聴こうとするだろうか。昭和天皇崩御に際しては、「カトリック教会として」、丁重な弔意を捧げるべきだった。それは「福音宣教」だった。千載一遇と言えるほどのチャンスだった。

これから行われる葬儀・即位の諸行事、それをめぐっての政治、社会の動きの中で、人間を神格化したり、人が作った制度を絶対化したり、特殊な民族主義を普遍化したりすることがないよう注意を払い、……本気でその危惧をしたのだろうか。

新年の一般参賀には毎年7万人前後の国民が参集する(平成30年は、12万6000人と発表されている)。国民は愚かなのか。司教団は日本国民を見下しているのである。

人は敏感にそれを感じ、反感を持つ。「宣教」などできない。

※本記事は、2019年4月刊行の書籍『マネジメントから見た司教団の誤り』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。