珍しくかつての同僚Eさんから電話が入った。2年前初めて書いたエッセイ『73歳からのインスタ遊び』を放置したままにしている。皆の手を煩わして完成したあの作品が私の現在を支えているのに。これから書く作品が、万が一、世に出たら、その作品にも日の目が当たるとのんびりほったらかしにしていた。彼は続けて作品を書くようにすすめてくれた。1冊出版することで、人生が確実に変わるという。彼には、これからSNSのnoteに書いていくつもりだと伝えた。

77歳を間近にして、これほどメルヘンチックな妄想にとらわれるなんて常識では考えられないが、これが私である。2ヶ月前のあの絶望的にヒステリックだった私とは打って変わって、現在は平穏で絶好調だ。

ドンは1963年にバレエ団に入団以来、才能を開花させ、映画『愛と哀しみのボレロ』(クロード・ルルーシュ監督、1981年)で世界的に有名になった。その後、日本に度々招聘され、日本中で『ボレロ』を公演している。それを私は全く知らなかった。

私は30年ぐらい前から商売に埋没していたが、その間でも地元のYMCAに週2、3回出かけて筋トレなど体を動かしていたというのに。YMCAにもダンスのようなクラスはあったが、参加しなかった。芸術への関心からは足を洗ったつもりだったのだろうか。取り返しのつかない無念さだが、人生も残り少ない今、神様は私にドンと会わせてくださったのだから、ありがたいと思うほかない。

私は、60代の8年間はスキーに夢中だった。12月から4月末までのシーズン中は、雪が降れば、ほぼ毎週月曜早朝、7時東京発の上越新幹線に乗り、8時越後湯沢駅に着き、迎えの車で民宿に着く。

簡単な朝食を取り、スキーウェアに着替えて、神楽スキー場まで車で送られる。夕方、4時頃また迎えの車に乗って民宿に戻り、入浴、夕食、自室に戻り、眠る。翌日は、朝7時半朝食後、バスに乗り、スキー場へ上がって教室に入り、スキーレッスンをし、4時に迎えの車に乗る。部屋で着替えて送迎の車で越後湯沢駅まで戻り、新幹線で帰宅する。

これをほぼ8年間続けたあと、スキーをやめた。スキー道具も全部処分した。今はスキーに全く未練はない。

60代に、バレエかヨガをやっておけば、と後悔するが、そういえば私の人生は後悔ばかりだ。それでも今、ドンに出会うことができた。幸運だ。空想の中でドンの追っかけをする。それを書くことと、下手なダンスをすることが、趣味として残った。

※本記事は、2022年4月刊行の書籍『ドンに魅せられて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。