Ⅰ.人間の最大の死亡原因は何か?

1 罹患原因の存在しない病気はない

心臓発作および脳卒中の根本原因を究明する

前述したように、両発作は全世界の年間病死者総数の優に過半に及ぶ数の人間の生命を奪っています。

このように絶大な存在である両発作が、なぜ、どのようにして、何を原因として発症するのかを詳らかとすることは、医学界に課せられた数ある使命の中でも最大のものと言っても過言ではありません。

さて、今なお未解明とされている両発作の真の根本原因を究明するに際して、その解明の効率をスピードアップするためには、捜索範囲をできるだけ絞り込む必要があります。

そこで、私の父は、まずは様々な仮定を設定するなどしてその答えを探究し、その得られた答えには一切の科学的矛盾が存在しないことを念入りに確認したのです。

ところで、両発作発症に際しては、それが重篤なものである場合はことに、大半のケースにおいて様々の激烈な症状の発生が確認できます(ことに心臓発作の場合は数多くの症状が認められており、また、脳卒中の場合には、脳内の障害発生部位の違いなどにより、その障害を受けた脳内の部位が担当する機能の低下ないし消失に応じた各種症状が発現する)。

このような顕著な諸症状が発現することから、両発作は体の中で非常に大きな変化が生じることによって起こる病気であるに違いないと、常識的には、誰もがまずはそうお考えになると思うのです。

私の父は、その変化が体の中のいずれかの部位で、例えばなんらかの激烈な作用を持つ物質が青天の霹靂のように多量に産生され、その物質の作用によって発症することになるのではないか、そして、体内におけるこのような物質的な変化の発生が両発作発症のそもそもの根本原因ではないかとまず推理したのです。

もしこの推理が妥当なものであるとすると、両発作の根本原因となり得るその物質は、体内のいったいどこの部位(組織)で、いつ産生されるのだろうかということを、次に究明する必要があることになります。

また同時に、その物質は平時には体内で産生されないか、あるいは、たとえ産生されても極めてごく微量であって、一方、両発作発症時には一過性に非常に莫大な量が産生されるということが考えられるはずです。

そこでまずは、その物質の産生される部位がどこかということはさて置き、その物質は産生された後に血液中に侵入すると判断されるのです。

すなわち、重篤な両発作発症時には、様々の激烈な症状がまたたく間に全身的に認められるようになることからも、血液を介して全身に拡散・到達する物質である可能性が極めて高いことが推測されるのです(血液が、心臓から拍出されて体内各部を巡り、後に再び心臓へと戻るまでに要する時間は、最短1分間ほどであることが確認されている)。

また、その原因物質はどのような生理活性作用を持つものであるのかということも究明されねばなりません。

そこで、様々な数多くの症例を検証した結果、原因となり得る物質は、非常に微量でも極めて強力な血管収縮・痙攣作用および組織傷害作用を持つと判断されるのです。

ところで、両発作が発症する場所としてはトイレの中が非常に多いのです。また、「便意をもよおしてトイレに行こうとした途端に意識を失い、再び意識を取り戻したときには病院のベッドの上だった」と述べている患者が数多くおられるということからも、その根本原因究明のヒントとなる様々な手がかりが得られます。

さらに、重篤な両発作の末期には様々な尿毒症(体内各部で産生される代謝産物や老廃物の毒性を有する物質は、排泄臓器である腎臓で濾過される。

その結果、血液は浄化される。しかし、腎臓の機能が低下すると浄化の効率は極端に落ち、これらの毒性物質が高い濃度で血液中に溜まるようになる)の諸症状に伴うチェーン・ストークス型呼吸が生じます。

これは周期性呼吸の一種で、J・チェーンが1818年に最初に記載し、W・ストークスが1854年に引用詳述したものです。浅い呼吸から次第に深い呼吸となり、再び浅くなって後に15〜40秒の無呼吸期に移行するという周期を比較的規則的に繰り返すもので、心肺疾患の重症末期に認められるとされています。

父の臨床医学における恩師である佐々廉平(さっされんぺい)博士(※1)が、チェーン・ストークス型呼吸は酸血症によって起こると述べていることから、両発作発症時に、急性尿毒症の諸症状がなぜ観察され、また、末期において酸血症がなぜ生じるのか、その原因を究明することも、捜索の網を絞り込む手がかりとなり得ます(なお、両発作の根本原因を究明する手がかりとなるものは、この他にもたくさんある)。

そして、探究の網を絞り込んでいった結果、究明、特定された両発作の根本原因物質を実験動物に投与した場合には、当然のことながら両発作発症に際して観察される諸症状を再現できなければなりません。

(※1)1882〜1979。当時の日本医学界の循環器系および泌尿器系疾患領域における臨床医学者としての第一人者。杏雲堂病院・元院長〔なお、江戸時代末期のまだ鎖国状態にあるときに、西欧諸国の中で唯一門戸を開いていた国であるオランダから、西洋の内科領域の医学を修得させるべく、徳川幕府が“杏雲堂”の佐々木東洋博士を遣わせたということからも、杏雲堂病院が、歴史と伝統を持った由緒正しい医療機関であるとおわかりいただけると思う〕)

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『殺人うんこ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。