一部 事件発生と、幼なじみの刑事とお巡りさん

二〇〇五年八月

「もう帰るん?」

「今日は実家に帰って明日は休みなんや。仕事は月曜からやね」

「そうなん。じゃあ、ちょっとお時間いただいていいかな。相談したいことがあってな」

なんだ、結局彼女の目的は相談することにあったのか。話しているうちに抱いた、仮初めの恋があってもいいのではないかという、高倉豊の卑しい期待感は急速にしぼんだ。

そしてさりげなさを装いながら、何かトラブルに巻き込まれているのかと尋ねることで、その思いを江藤詩織に悟られないようにした。つまり彼女に問い掛け、それに答えさせることで、彼の卑しい思いに江藤詩織が気付くことになるかも知れない時間を与えないようにしたのだ。

「このままここで話させてもらってもいいんかな。ここなら高倉君に顔を見られないで済むしな」

どういうことだろう。話しているうちに、涙でも流すのだろうか。高倉豊はそれ以上深くは考えずに、江藤詩織が救われるようにとだけ願うようになっていた。

彼をそのような気持ちにさせたのは、数分前に声を掛けられたときと、今江藤詩織が再び、高倉君と呼んだことにあった。高倉豊は、中学時代に彼女から高倉と呼び捨てにされていたので、彼女からの頼るような声の響きに、胸にぐっとくるものを感じてしまっていたのだ。彼は結婚していて子供まで居るというのに、昔の片思いを未だに引き摺っているのだ。

「ええよ」と言う高倉豊の口調には、優しさ【否、下心と言い換えるべきか】が籠もっていた。それに、互いに顔がはっきり見えない状態で話し続けるのは、平常心を保つ上で好都合だという思いから、彼にとっては有り難い申し出であると言えた。