一九七〇年 夏~秋

3 末はお医者か代議士に

「もうちょっとで目をやられるとこじゃったわ」

家に戻った祖父の傷を、祖母が洗ってやります。

「あんなボロッたの木い、こっちで切ってもうたらどうで。うちの人も前からほうしょうって言よったじゃろ」

元々柿の木が気に入らない母が言いました。それで何度も祖父と言い争いをしていました。家族である彼らもまた不仲なのでした。

「なんしに切るんな。昔っからこの屋敷にある木じゃのに。御先祖はんのお墓を守っとるんでよ」

柿の木の下には、大小の墓が並んでいました。菩提寺(ぼだいじ)にある山野家代々の墓に比べて、コンクリートを固めただけだったり、石を置いただけの粗末な物が多く、誰が入っているのかもよくわかりません。それらの上に被さるように柿の木は枝を広げ、緑の葉を簇(むら)がらせているのでした。

「柿の実がお墓にボンボン落ちよるわ。仏さんも困っとるんとちゃうで」

母に遣り込められて祖父は黙ってしまいましたが、秋になって黄色く色づいた実が鈴生(すずな)りになると、墓には蝙蝠傘(こうもりがさ)が立てかけられるようになりました。私の無神経な言葉を母は黙然(もくねん)と聞いています。

「息子はんもええ車に乗っとうもんな」

私は意地悪く追い打ちをかけました。コマツの息子が社員優待で最近買ったのは、スポーツカーの『フェアレディ240Z』でした。臙脂(えんじ)色の車体を鈍く光らせながら、野太い排気音を残して走り去っていきます。白瓜を運ぶために借金して買った、我が家の中古オート三輪とは異次元の乗り物でした。

「やけん百姓はあかんっちょうるじゃろ。おまいは勉強して見返したったらええでないで。ほのためにはええ大学に入らんならん」

母が声を荒げて言いました。

「わあった。僕、勉強するけん」

缶の蓋でとぐろを巻く蚊取り線香が息苦しく煙(けぶ)っていました。

「医者か代議士んなって、大けな家を建てたら呼んでな。うち一人でほっちい行くけんな」

母の切実な夢でした。ミシンを踏んでそれを実現しようとしていたのです。

「ほなけん勉強してええ大学い行き。学費はうちがどなんしてでも出しちゃるけん」

湿っぽくなりそうだったので、私は話題を変えることにしました。

「ほれより万博どなんなったん」

和代叔母さんの住む大阪では、『EXPO’70日本万国博覧会』が華々しく開催中でした。和代叔母さんからは、自宅に泊めるから是非にと誘われていました。

「忙しいてほれどころでないわ」

母は指先を繊細(せんさい)に動かして、複雑なジグザグ縫いに余念がありません。

「行ってもええっちょうったでないか。もうじきマユミちゃんも行くっちょうったでえ」

朝顔のときと同じく、人間の感情のうちで一番下等な嫉妬が、またしても私の心に萌(きざ)していました。

「うちより父やんにゆうてみないだ」

父は夕飯も取らずに出て行ったきり、まだ帰っていませんでした。この所午前様(ごぜんさま)の帰宅が増えています。隣家の高雄さんに誘われて、繁華街の『串田町(くしたまち)』で酒を飲んでいるのでした。

「また夜中までもんてけえへんのんじゃろけど」

父のことを思い出して渋い顔になります。

「寝る前に忘っせんと歯磨きしなよ」

母の不機嫌は益々昂じていきました。『水戸黄門』の放送が終わったテレビでは、歌手の『三波春夫』が万博のテーマソングの『世界の国からこんにちは』を歌っていました。私は発売直後のラミネートチューブ入り歯磨き粉(こ)『ホワイト&ホワイト』で歯を磨きます。

虫歯がたくさんできており、たまに狂おしく痛みましたが、歯医者が嫌いなので放置してありました。その後、歯の痛みや腫れにはずっと悩まされますが、その嫌いな歯医者に将来自分がなったために、なんとか入れ歯にならずにすんでいるのでした。

「はよ寝なよ。朝はちゃんと起きてラジオ体操に行かなな」

子供歌手の『皆川おさむ』が『黒猫のタンゴ』を歌っていましたが、私はそれを最後まで聞かせては貰えませんでした。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。